朝ドラ『あんぱん』若松次郎のモデルは超エリート機関士だった? 2校しかない高等商船学校を卒業して日本郵船へ
朝ドラ『あんぱん』外伝no.27
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第8週は「めぐりあい わかれゆく」が放送された。朝田のぶ(演:今田美桜)は、父・結太郎(演:加瀬 亮)と親交があったという機関長の息子・若松次郎(演:中島 歩)から結婚を申し込まれるが、乗り気ではなかった。しかし、次郎の真摯な想いとかつての父を彷彿とさせる言葉に心を動かされ、結婚を承諾する。今回は次郎のモデルとなった小松総一郎さんについて取り上げる。
■神戸高等商船学校を卒業して日本郵船へ就職した秀才
のぶのモデルである暢さん(出生時の姓は池田)は、大正7年(1918)5月に大阪市天王寺区で誕生した。父は当時日本有数の商社として名を馳せた鈴木商店で才能を発揮したエリートビジネスマンだった。
暢さんには兄が1人、妹が2人おり、幼少期は父の勤務先に合わせて大阪や釧路で暮らした。比較的裕福な暮らしをしており、幼少期から毛皮のオーバーコートを着こなし、バイオリンやピアノといったお稽古にも励んでいたそうだ。当時の池田家と暢さんのモダンな暮らしぶりが窺える。
そんな暢さんが出会ったのが、最初の夫となる小松総一郎さんだ。総一郎さんは暢さんの6歳年上だった。高知県高知市に生まれ、神戸高等商船学校(現在の神戸大学海事科学部)へ入学した。
「高等商船学校」とは、当時船舶の運用をはじめとする海事分野を専攻としていた官立の実業高等教育機関である。元を辿れば、三菱財閥や川崎財閥によって創立された三菱商船学校や川崎商船学校が始まりであり、それらを官立に移行する形で誕生した。大正14年(1925)にこの名称が使われ始めた際、日本に「高等商船学校」と名がつく学校は東京高等商船学校と神戸高等商船学校の2校のみだった。昭和18年(1943)に清水高等商船学校が加わっても、全国で3校しかなかったのである。
高等商船学校は学費が無償だった。航海科と機関科それぞれ定員が少なく、しかも卒業すれば民間外交官の役割も担う高級船員という職がほぼ約束されていたこと、海軍予備員制度によって徴兵は猶予され、卒業後には予備士官に任官されるということもあって、極めて狭き門だったのだ。それを突破した総一郎さんは、非常に優秀な学生だったのだろう。
高等商船学校の学生は、卒業すると多くが民間の船舶会社に就職する。総一郎さんは昭和11年(1936)に機関科を卒業した。『神戸高等商船学校一覧』には、同年の卒業生一覧のなかに「小松総一郎 高知」という名前と本籍の記載がある。また、就職先として「日本郵船株式会社」という記載もみられる。
その記載の通り、卒業後は日本郵船へ入社して職務に励んだ。日本郵船は「日支連絡船」「上海航路」などと呼称される、神戸・長崎~上海の国際定期旅客航路を運航するなど、海外航路を通じて世界と日本を繋ぐ役割を担っていた。
そんな総一郎さんと暢さんが結婚したのは、昭和14年(1939)のこと。暢さんは20歳、総一郎さんは26歳だった。総一郎さんはハイカラな男性だったようで、妻となった暢さんにドイツ製(ライカ)のカメラを贈っている。
作中では“愛国の鑑”としての自分に悩むのぶのことを、大きな愛で受け入れようとする次郎。2人の結婚とその後はどのように描かれていくのだろうか。

イメージ/イラストAC
<参考>
■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』
■『神戸高等商船学校一覧 昭和11年・12年』