朝ドラ『あんぱん』実際の暢さんは毛皮のコートを着こなすお嬢様だった? モダンな暮らしをしていた幼少期と学生時代
朝ドラ『あんぱん』外伝no.23
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第7週は「海と涙と私と」が放送中だ。のぶ(演:今田美桜)は、一度は嵩(演:北村匠海)と仲直りしたものの、真っ赤なハンドバッグをプレゼントされたことで再び2人の考え方の相違が露わになり、最終的に喧嘩別れしてしまう。のぶは謝ろうと駅まで走っていったが、嵩と同級生の辛島健太郎(演:高橋文哉)は既に去った後だった。さて、史実ではやなせたかし氏と暢さんが出会うのはこれよりずっと後のことになる。では、実際の暢さんはどんな幼少期、学生時代を送っていたのだろうか。
■モダンなファッションに身を包み、音楽も習う先進的な少女
朝ドラ『あんぱん』でのぶのモデルとなった暢さん(出生時の姓は池田)は、大正7年(1918)に大阪府大阪市天王寺区で誕生した。
暢さんの父は、池田鴻志さんという。明治18年(1885)に高知県安藝郡安藝町に生まれ、小学校卒業後は高知商業学校(現在の高知商業高等学校)に入学。さらに卒業後は大阪へ出て、関西法律学校(現在の関西大学の前身)へ入学した秀才だった。
鴻志さんは国内有数の商社として名を馳せていた鈴木商店に才能を見出され、大正5年(1916)2月に同社が運営する九州炭鉱会社での勤務を始める。
大阪の木材部勤務を経て大正6年(1917)に台湾・嘉義の木材部の主任に栄転。これは鈴木商店のなかでも重要な役職だった。さらに、大正8年(1919)には釧路出張所長に任命され、釧路の開発と各種事業の拡張に尽力。暢さんが生まれたのは、ちょうどこの台湾駐在と釧路赴任の間のことだった。
暢さんには兄が1人、妹が2人おり、幼少期は父の勤務先に合わせて大阪や釧路で暮らした。父は日本の一大商社のエリート社員ということで、比較的裕福な暮らしをしていたという。幼少期から毛皮のオーバーコートを着こなし、バイオリンやピアノといったお稽古にも励んでいたそうだ。当時の池田家と暢さんのモダンな暮らしぶりが窺える。
父・鴻志さんについては大正14年(1925)3月11日の官報「株式會社釧路木材倉庫」の欄に「大正十三年十一月十一日監査役池田鴻志ハ死亡シタリ(原文ママ)」と記載されており、この記述に従うのであれば、大正13年(1924)11月11日に亡くなったことになる。この時暢さんは6歳だった
作中ののぶ同様に高等女学校を卒業しているが、卒業したのは大阪府立阿部野高等女学校である。ただ、高知市内にあった高知県立第二高等女学校の名簿にもその名前が残っているようで、途中で転校した可能性があるという。高等女学校時代には、足の速さを見込まれて学校で短距離走選手をしており、「韋駄天おのぶ」と呼ばれた。音楽のセンスだけでなく運動神経も良いという、明るく多才な女学生だったようだ。

イメージ/イラストAC
<参考>
■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』
■釧路日日新聞社『釧路の人物』