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朝ドラ『あんぱん』子を置き去りにして再婚するもまた死別… 登美子のモデルとなった女性の波乱の半生とその後

朝ドラ『あんぱん』外伝no.21

■名家のお嬢様として生まれ、三度の結婚を経験…

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)の母・登喜子さんは、父・清さんと同じ高知県香北町在所村の出身だった。実家の谷内家は地元の大地主で、登喜子さんはその家の次女として誕生。谷内家は裕福で田舎でも華やかな暮らしをし、都会にも度々出かけていたそうだが、嵩さんの母方の祖父にあたる人の放蕩によって財産はまたたく間になくなり、没落間近という状況だったようである。

 

 高知県立第一高等女学校に進学した登喜子さんはまさに才色兼備という言葉がぴったりの女性だった。在学中に一度結婚をしているが、短い結婚生活を経て離縁し、実家に戻っている。そのため、嵩さんの父・清さんとは初婚ではなく再婚になった。清さんは文学を愛しスポーツも万能なモダンな男性で、地元の美男美女夫婦の誕生はある種必然だったように思われる。

 

 登喜子さんは仕事の関係で上海に赴任する清さんに同行し、そこで嵩さんを身ごもったという。しかし、慣れない海外での出産は不安も大きかったのだろう。登喜子さんは故郷での出産を希望した。

 

 大正8年(1919)2月に嵩さん、その2年後に弟の千尋さんが誕生し、柳瀬一家は東京で幸せに暮らしていた。登喜子さんにとっては、この頃が幸せの絶頂だったのかもしれない。その生活が終わりを告げたのは、大正13年(1924)のこと。清さんが単身赴任先の厦門で病死してしまったのである。この時嵩さんは4歳、千尋さんは2歳だった。夫を1人で海外に赴任させ、その地で夫が亡くなってしまったことは、登喜子さんにとって生涯忘れえぬ心の傷となった、と後年やなせたかし氏は自身の著書で言及している。

 

 その後千尋さんを清さんの兄・寛さん夫妻の養子として送り出し、登喜子さんは実母・鐵さんと嵩さんとの3人暮らしを始めた。高知市内の医者の家の離れを借りたのだが、そこは8畳程度の狭い和室と台所くらいしかなかったという。かつての東京での暮らしぶりとは、天と地ほどの違いがあった。

 

 何より、大黒柱を失ったために、登喜子さんは必死で自活の道を探ることになった。洋裁や茶の湯、生け花をはじめ、(恐らく後々教室を開けるように)あらゆる習い事に果敢に挑み、家を不在にすることも多かったという。貧しくともささやかな幸せを紡いで平穏な暮らしを数年続けていたが、またしてもその生活は終わりを迎えることになった。

 

 嵩さんが尋常小学校の2年生になった頃、登喜子さんに再び結婚の話が舞い込んだのだ。結局登喜子さんはその事実を伏せたまま嵩さんを寛さん夫妻に預け、2人の息子の前から去っていった。お相手は東京の官僚という立派な肩書の男性で、前妻との間に既に子もいたという。

 

 登喜子さんがこの縁談に喜んだのかはわからない。人生三度目となる結婚相手としては申し分ないが、我が子を置いていかなければならないことに心を痛めただろう。一方で、この先も女手一つで嵩さんを育てるよりかは、医院を経営している寛さん夫妻に預けたほうが、経済的にも余裕のある暮らしをさせてやれるだろうし、将来的にも嵩さんにとって良いのでは……と考えた可能性も否めない。

 

 登喜子さんは新たに夫となった男性に従って東京・世田谷で暮らし始めたが、残念ながらその夫とも死別することになってしまった。2人の間に子はいなかったようである。とはいえ、夫は登喜子さんに家を遺してくれたいたこともあり、生活にはあまり困らなかったらしい。死別した時期は不明だが、嵩さんが旧制専門学校・東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)に進学する頃には既に1人で生活していた。

 

 高知新聞社『やなせたかし はじまりの物語:最愛の妻 暢さんとの歩み』によると、登喜子さんは再婚相手の死後に下宿を営むようになっており、上京した嵩さんはそこで暮らすようになったという。ということは、母子が約10年ぶりに生活を共にしたことになる。登喜子さんはその後も嵩さん、そして千尋さんとも僅かながら交流をしていたようで、母子の絆は切れずに続いていった。常に一緒にはいられずとも、母としての愛を2人の兄弟が正しく受け取っていたことの証だろう。

イメージ/イラストAC

<参考>

■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

■門田隆将『慟哭の海峡』(角川書店)

■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』

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