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朝ドラ『あんぱん』のぶは選ばれしエリート女学生だった!? 全国で3000人ほどしかいなかった高等女学校卒の師範学校生

朝ドラ『あんぱん』外伝no.17


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第5週は「人生は喜ばせごっこ」が放送中だ。女子師範学校に入学した朝田のぶ(演:今田美桜)は、教師である黒井雪子(演:瀧内公美)の指導や寮生活の厳しさに直面しながらも、小川うさ子(演:志田彩良)と共に強くなることを誓う。一方、絵の道に進むことを決めた嵩(演:北村匠海)は、伯父・寛(竹野内豊)からアドバイスを受けながら受験勉強に勤しんでいた。さて、当時女子師範学校にはどれくらいの女学生が在籍していたのか? 当時の制度と在籍者数を紐解いてみよう。


 

■全国でも女子師範学校に在籍する女学生はほんの一握り

 

 「師範学校」とは、教員を養成する学校である。初等・中等学校教員の養成(師範教育)を目的としており、卒業後は全国の尋常小学校で教員となる。ちなみに、高等師範学校では旧制中学校や高等女学校といった中等教育機関の教員を養成していた。

 

 のぶが女子師範学校に入学したのは、昭和11年(1936)春のことである。文部科学省が公開している「明治6年以降教育累年統計」によると、同年に存在する学校数は101校、教員数は2232人とある。また、同年に女子師範学校に在籍している生徒は、本科第一部が6902人、第二部が3299人、専攻科が286人、講習科が25人、全国で1万512人だったと記録されている。

 

 師範学校は、男女ともに本科第一部と本科第二部に分かれていた。前者は高等小学校卒業を入学資格としており、大正14年(1925)からは5年制。一方、後者は旧制中学校もしくは高等女学校の卒業者が対象で、昭和6年(1931)から2年制と定められていた。専攻科とは、本科で学ぶ科目についてさらに高度な教育を施すもので、修業は1年。師範学校の卒業者かそれに準ずる高い学力をもった一部の人間のみが入学資格を得られた。

 

前述の文部科学省の統計によれば、昭和11年(1936)に全国で本科第二部(つまり高等女学校を卒業した女学生)に在籍しているのは全部で3299人ということになる。この数字は1学年ではなく全学年の生徒を対象にしているから、当時でもいかに少なかったかがわかるだろう。

 

 そもそも当時、“良妻賢母教育”を掲げていた高等女学校に通わせる目的は勉学そのものよりも“花嫁候補としての泊付け”が大きかった。その上で、さらに勉学ができなければならない「教員養成機関」である師範学校に進もうという女学生も、縁談より職業婦人としての道をいかせようという家族も少なかったのである。

 

 師範学校の学費は官費で賄われており、さらに一部の優秀な生徒には+αで学費と称して金銭が給与された。貧しくても教育の機会が得られる救済の道でもあったのだ。ただし、その前提は「卒業後に教職に就くこと」だ。つまり「将来お国のために貢献する人材を育成するのなら無償で」というわけである。

 

 その分、日々の授業も生活も厳しかった。作中でも描かれたように、師範学校の寄宿舎生活においては男女問わず上級生による下級生へのいじめやしごきが問題になり、あまりにも深刻な問題になった学校では全寮制を廃止することもあったという。1日のわずかな自由時間でさえ、“自由”ではなく、自習に励むのはもちろん、奉仕活動や課外活動などに駆り出されることも多かった。

 

 全国でもわずかな人数しかいなかった女子師範学校の生徒の1人として、今後のぶやうさ子がどのように成長するのかも注目していきたいところである。 

イメージ/イラストAC

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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