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戦国時代の中国地方の覇者「毛利家」のルーツは源頼朝の側近で鎌倉幕府の文官にあった⁉【戦国武将のルーツをたどる】

戦国武将のルーツを辿る【第9回】


日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は戦国時代に中国最大の勢力を築いた「毛利家」に歴史をひもとく。


 

「三矢の訓」像

 

「弓矢の矢は1本では弱いが、3本を束にしたらずっと強い。毛利家の兄弟が力を合わせれば、この3本の矢のように素晴らしい強さを誇れるであろう」とした「3本の矢」の教訓で知られる毛利元就(もうりもとなり)。その教訓の通りに、元就の子どもたちは力を合わせて戦国時代を戦い抜き、結果として「毛利家」を中国地方で最大の、そして戦国時代としては最も強い一族の1つに仕立て上げた。

 

 その3人の子どもとは、嫡男・隆元(たかもと)、2男・元春(もとはる)、3男・隆景(たかかげ)であった。隆元は、41歳で急死して毛利家を嫡男・輝元(てるもと/元就の孫)が継ぐ。元春は、姻戚関係もあり山陰地方に勢力を持つ吉川家に養子に入り、隆景も瀬戸内海を押さえる水軍の1つを持つ小早川家に養子に入る。2人は吉川・小早川の「川」を取って「両川体制」と呼ばれ、毛利本家を側面から支援する役割を担った。もちろん、元春、隆景ともに一騎当千の強者であり、武将としての資質も十分に有している。

 

 毛利元就が、期待したのは3人の兄弟が支え合って「毛利家」を維持・発展させていくことであった。それが「3本の矢」という故事に繋がった。元就の期待に応えた3人は、弱小豪族の1つであった毛利氏を中国最大の豪族に仕立て上げた。その過程に、安芸武田氏、尼子氏、大内氏など、近隣諸国に君臨した大きな戦国武将たちを次々にうち倒して、最後には中国地方の井覇者となったのだった。

 

 毛利元就は、明応6年(1497)3月に、毛利本家の当主・弘元の2男として生まれた。幼名を松寿丸という。もっとも、毛利本家といえば聞こえはいいが、実際にはわずか3000貫(戦国時代の価値。中世では米1石が銭1貫であったというから、3000貫は3000石に換算される)の領地を持つ小豪族に過ぎなかった。

 

 この毛利本家のルーツを見ると、鎌倉時代に遡る。鎌倉幕府を開いた源頼朝の招きで京都から鎌倉に下り、公文所(公文書を処理する役所。後に政務全般を処理した)の別当(長官)と政所(まんどころ)別当を担った大江広元(おおえひろもと)になる。実際には広元の4男・季光(すえみつ)が毛利氏の始祖になるのだが、季光は、広元が鎌倉幕府から与えられた所領のうち、相模国(神奈川県)毛利荘の地頭職(実質的な領主)を任された。以来、この地に土着して在地名の「毛利」を名乗った。

 

 季光は、後の承久の乱で手柄を立てるものの、その後に起きた宝治合戦で鎌倉幕府の執権・北条氏への反乱軍となった三浦泰村に味方して敗れ、自刃に追い込まれた。壊滅寸前になった毛利一族は、僅かに4男・経光のみが許されて、安芸国(広島県)吉田荘等の地頭職を得て移り住んだ。

 

 それから南北朝の動乱や足利幕府の成立などを経て、毛利本家は吉田荘を維持し、その地に郡山城を築いて本城とした。だが、この城とて砦に毛の生えたような山城であった。以来、ここを拠点とした毛利氏は国人領主(少豪族)として少しずつ勢力を拡大していった。

 

 元就(松寿丸)の父・弘元の時代には、中国地方の実力者・大内氏(義興)が周防・長門(山口県)、豊前(大分県・福岡県)、筑前(福岡県)、石見(島根県)、安芸(広島県)を実質的支配に置いていた。

 

 弘元は、この大内氏に対抗する出雲(島根県)の大勢力尼子氏、備後の守護・山名氏などとの間にあって、小豪族の辛酸を舐めた。ただ、元就は幼時から書物を好み、『孫子』等を含む『六韜三略』などによって、戦さの駆け引きを覚えた。これが、元就の代になって大きな力を発揮して、毛利家を中国最大の勢力に引き上げたのであった。

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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