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戦国随一の軍師・黒田官兵衛のルーツは宇多源氏の末裔⁉ 平安時代の宇多天皇に始まる宇多源氏の子孫として継がれた「黒田家」【戦国武将のルーツをたどる】

戦国武将のルーツを辿る【第5回】


日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は戦国随一の軍師として名を轟かせた黒田官兵衛の家「黒田家」の起源と歴史をたどる。


 

戦国随一の軍師・黒田官兵衛(如水)とその息子の黒田長政を祀る光雲神社の水牛の兜

 

 黒田官兵衛は、天文15年(1546)11月29日に父・職隆(もとたか)が城代を務める姫路城内で生まれた。幼名を万吉という。後に通称を「官兵衛」、諱(いみな)を「孝高(よしたか)」と名乗る。万吉(官兵衛)は、幼時から父・職隆に「わが黒田家は、家系を辿れば第59代・宇多天皇(在位887~897)に行き着く尊い家系である」と言われて育った。

 

 職隆が年々供養に口に出していた「宇多天皇」とは、光孝天皇の第7皇子で、20歳の時に59代天皇となった。藤原摂関政治の中にあって、後に「天神様」として祀られる菅原道真(すがはらのみちざね)を抜擢するなど政治の刷新に努力された天皇として知られる。

 

 この宇多天皇は後に出家して法皇となる。その皇子4人(親王)は源姓を与えられ、臣籍(皇族ではなく臣民としての身分)に列したが、そのうち敦実親王の子・源雅信の子孫が最も栄え、この一流を「宇田源氏」という。後に武家の棟梁を出す「清和源氏」や公家社会で大臣や大将をだ輩出する「村上源氏」よりももっと古い「源氏」姓のルーツが、この宇田源氏であった。

 

 源雅信の孫に当たる源成頼が、近江(滋賀県)の佐々木荘に住み着き、この土地の名前を姓とした。世にいう「佐々木源氏」である。あるいは「近江源氏」ともいう。その後、佐々木氏は京極氏と六角氏に分かれた。このうちの京極の分家が近江の黒田郷に移り住み、その土地の名を取って「黒田」を姓としたのが、官兵衛(万吉)の黒田家である。

 

 近江の黒田家初代は、宗清といった。ただし、官兵衛が生まれた時点で父・職隆は「黒田」ではなく「小寺」を名乗っている。というのも、官兵衛の曾祖父・6代高政までは本家の京極家に仕えていたが、故あって近江を去った。一家を率いて近江を出た高政は、放浪の果てに備前福岡に辿り着いた。「備前福岡には近江源氏の縁戚がいる」というだけの理由であった。

 

 高政の嫡男・重隆(官兵衛の祖父)は、その嫡男・職隆を筆頭に一家ともども備前福岡を出て播磨を目指した。「福岡」への愛着は、黒田家の誰にもあった。だが、それだけのことである。播磨では御着城主の小寺政職に会って、結局その家臣になった。そして官兵衛の父・職隆は姫路城代として小寺家の家老になる。ここで官兵衛が生まれ、育った。さらには、成長した官兵衛自身が小寺家の筆頭家老になる。官兵衛も、小寺姓を名乗っている。

 

 この後、官兵衛は小寺家に仕えたまま新天地を求めて京に出た。それが官兵衛の人間関係を広くさせ、見聞によって官兵衛の知恵には磨きが掛けられた。

 

 官兵衛が織田信長を知り、木下藤吉郎(豊臣秀吉)を知ったのは、こうした時期であった。信長によって秀吉付きになったものの、荒木村重の乱によって、有岡城に幽閉され救助されたこともあった。片脚の自由を失った官兵衛は、この時点で「小寺」から「黒田」に復姓した。「黒田」の再生である。官兵衛は、その後も秀吉の軍師同然に仕え、秀吉の天下取りに力を発揮した。

 

 九州・豊前6郡12万2千石を与えられた官兵衛は、秀吉没後の関ヶ原合戦には嫡男・長政を出陣させて自らは九州平定を試みた。その結果、徳川家康から黒田家は筑前52万3千石を与えられた。長政は官兵衛の願いを容れて、城下の名前を新しく「福岡」とした。父祖たちの「心の故郷」である備前福岡への試着を、名前で示したのだった。これが現在の福岡県福岡市の嚆矢(はじめ)である。

 

 福岡にて黒田家は、明治の廃藩置県に至るまで、他所への移封も減封、改易もなく12代を重ねるのである。

 

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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