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“女城主”井伊直虎や“井伊の赤鬼”井伊直政を生んだ【井伊家】の始祖は御手洗井戸から生まれた赤ん坊⁉ 徳川の世を支える名家へとなる[戦国武将のルーツをたどる]

戦国武将のルーツを辿る【第2回】


日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など戦国時代に覇権を握った武将たちは、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は、甲斐・武田氏や出羽(秋田)・佐竹氏など数えるほどしかいない。つまり、戦国時代には槍一筋で成り上がった武将・大名がほとんどであったことになる。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は徳川家を支えた名家「井伊家」の起源と歴史をたどる。


 

 女城主・井伊直虎や徳川四天王のひとり・井伊直政などを輩出した井伊家の領地・井伊谷(いいのや)は、浜名湖の北岸、旧引佐郡引佐町(静岡県浜松市)にある。

 

井伊直政像

 

 この井伊家の始祖・共保(ともやす)には、次のような不思議に満ちた出生潭が伝えられている。平安時代中期のある元旦のことであった。井伊谷にある八幡宮の神主が御手洗井戸から赤ん坊が生まれ出るのを見た。驚いた神主は、元旦の奇瑞と感じ入り、その赤ん坊を取り上げると、その後わが子同様に育てた。その男児が7歳になった折のことである。一条天皇に仕える藤原北家の藤原共資(ともすけ)が遠江守に任じられて遠江(とおとうみ/静岡県西部)に赴任した。そして共資は、7年前の疵異端を聞き付けて神主のもとを訪れた。

 

「神の子がいると聞いた。その子を私の養子にくれぬか」と遠江守・藤原共資に乞われて、神主は男児を手放した。共資に貰われた男児は「共保」と名付けられた。そして生まれた井伊谷にちなんで「井伊氏」を名乗った。共保は武勇抜群で、人間としての器も大きな武将に育った。井伊家の旗印が「井桁」であるのは、この共保の奇瑞伝説によるものだという。さらに家紋としての「橘」も、奇瑞のあった井戸の傍らにあった橘を産着の紋にしたものだと伝えられている。

 

 その後、遠江の守護職は変わり、室町時代には斯波氏が入国する。井伊谷はそのまま井伊氏が支配したが、守護・斯波氏の配下にあった。代を重ね、戦国の世に初めて「兵部少輔」を称したのが、後の直政の曾祖父である13代・直平であった。直政は井伊家17代になる。

 

 時代を経て井伊氏は、駿河の戦国大名・今川氏の属将としての立場にあった。井伊谷に領地は持ったままでありながら、往年の勢いは望むべくもなかった。直政は、永禄4年(1561)2月に誕生した。幼名・虎松。父は井伊家16代・直親だが、まだ曾祖父・直平は健在であった。井伊家の男たちは、戦場や今川義元の謀殺などによって、直平以外は命を失っていた。そこで紆余曲折の末に、宗家を継いだ直盛の長女・次郎法師直虎が一時は家督を継いで井伊家を掌握した。直平の苦肉の策であった。

 

 そうした最中の、虎松(直政)誕生である。「井戸の奇瑞端の再現じゃ」と直平は喜び「この子だけは何としても一人前の武将に育て上げるのだ。それが我ら井伊家に残された者の使命だ」と、生育に力を入れた。だが永禄6年9月、今川氏真の戦いに駆り出された75歳の直平もまた敵の矢に当たって戦死してしまった。幼い直政は、ただ1人取り残された形になった。この間に、井伊谷も井伊家の領地ではなくなっていた。

 

 徳川家康は、人質にされていた今川家を出て独立。その後、織田信長と結んで、浅井・朝倉連合軍との姉川合戦、武田信玄との三方ヶ原合戦などを経て、武田勝頼との長篠合戦の直前のことであった。井伊谷の付近で鷹狩りをしている最中に、面会を求めてきた15歳の直政を謁見した。そしてその場で家臣とし、井伊谷2千石を直政に与えた。井伊谷はこうして井伊家に戻ったのだった。

 

 直政が元服して初陣を果たしたのは天正4年(1576)2月。遠江を襲った武田軍との戦いである。この戦いで、夜襲してきた武田の忍び衆を倒したのが、直政の初手柄になった。この後、井伊直政は徳川四天王の1人でありながら、徳川政権が樹立されると家康によって「井伊家は譜代筆頭」と位置付けられる。徳川時代を通じて「大老」を出す家は井伊家だけという厚遇を得るのである。

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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