朝ドラ『あんぱん』史実の寛さんは田舎道をオートバイで爆走していた!? 多趣味で陽気、人々に尽くす町医者だった伯父
朝ドラ『あんぱん』外伝no.22
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第7週は「海と涙と私と」が放送中だ。夏休みになり、のぶ(演:今田美桜)は、卒業後の就職先を探すため久しぶりに帰省。一方嵩(演:北村匠海)も、学校の同級生である辛島健太郎(演:高橋文哉)を伴って帰省した。柳瀬家では健太郎をもてなす豪華な料理が並び、伯父・寛(演:竹野内 豊)は「いい友達ができて良かった」と嬉しそうにする。今回はそんな寛のモデルとなった男性、やなせたかし氏の伯父の実像に迫る。
■「多趣味な遊び人」とやなせたかし氏が評した多才な伯父
柳瀬家は三男四女の7人きょうだいで、男子は長男が寛さん、次男が清さん、三男が正周さんといった。家は江戸時代から続く庄屋で、名家といってよい家柄だったものの、寛さんや清さんが生まれる頃にはすっかり傾いてしまっていたという。
寛さんと清さんは共にハンサムな秀才に育ち、2人とも高知県立第一中学校(後の高知県立高知城東中学校/現在の高知県立高知追手前高校)に進学。寛さんはそこからさらに京都府立医科大学に進学した。その京都で妻となるキミさんと出会い、医者になって故郷に戻った寛さんは後免町(現在の高知県南国市後免町)に内科・小児科の「柳瀬医院」を開業するのである。
寛さんは文化人の一面も持っており、「朴城」という俳名で俳句もたしなんでいた。音楽も好きで、レコードで音楽を流したり、さらに当時流行っていた薩摩琵琶を習い、自ら奏でたりもしたという。ちなみに、やなせたかし氏は伯父・寛さんの音楽センスについて「琵琶は子ども心にも下手だと思ったし、歌は聴くのも歌うのも好きだったが才能が不足していた」という旨の感想を著書で述べている。また、そんな寛さんのことを「多趣味な遊び人」と評した。寛さんの趣味のひとつにオートバイがあり、サイドカー付きのそれに乗って、田舎の道を疾走するものだから目立って仕方なかったと、やなせたかし氏は著書で回顧している。
一方で寛さんは、「柳瀬家の大黒柱」として懸命に家族を支えた。弟の正周さんを自分の家に住まわせて世話をするなど、何かにつけて兄弟姉妹の面倒をよくみていたそうだ。
妻・キミさんとの間に子ができなかったため、清さんと相談の上でゆくゆくは清さんの次男・千尋さんを養子に迎える話をまとめていた。そのため、清さんが単身赴任先の厦門で病死した後は、千尋さんを正式に養子にしている。また、数年後に嵩さんの母である義妹・登喜子さんが再婚するとなった際には、嵩さんのことも預かることにした。ただし、嵩さんの場合は千尋さんと異なり、寛さん夫妻の正式な養子にはしなかった。
寛さんもキミさんも、養子の千尋さんはもちろん、嵩さんにも愛情を注いだ。分け隔てなく接し、自由放任主義だったために怒ることもなかったという。嵩さんが家出騒動を起こして深夜にやっと帰宅した時でさえ、一言「よく帰ったな」と口にしただけだった。
医師としての寛さんは、とにかく患者のために尽くす姿勢だったようだ。人力車に乗って往診に出かけ、誰に対しても気さくに接した。遠方からの依頼があれば、バイクを飛ばして駆け付けるほど活動的だったそうだ。地域の人々に尽くす心優しい寛さんの元には、地元の知識人が集まった。柳瀬家は一種のサロンのような場となり、毎晩が宴会のようだったという。
嵩さんが絵の道に進みたいということを知るや、「図案なら食べていく道があるかもしれない」と背中を押し、受験生活をサポートした。さらに、上京した嵩さんに毎月欠かさず仕送りをするなど、実の息子のように大きな愛情をもってその成長を見守り続けたのだった。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
■門田隆将『慟哭の海峡』(角川書店)