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戦国時代において有数の巨大城郭として知られた栃木の名城「烏山城」【栃木県那須烏山市】

城ファン必読!埋もれた「名城見聞録」 第20回


栃木県那須烏山市のほぼ中央にそびえる八高山の上に立っていた烏山城。平安時代から戦国時代にかけて有力武将として活躍した那須氏の城として巨大な規模を誇り、今もなお広い範囲にその痕跡を残す。


 

■牛の寝ている姿に似ていることから「臥牛城」とも呼ばる北関東の巨城

 

烏山城は、喜連川丘陵の尾根に築かれた連郭式の城郭だった。

 

 烏山城は、栃木県那須烏山市街の北西に位置する八高山頂を中心として築かれた山城である。山の形が臥した牛に似ていることから「臥牛城」とも呼ばれている。

 

  烏山城は応永25年(1418)、那須資氏(なすうじすけ)の次男・資重(すけしげ)によって築かれたとされる。このころの烏山城は、八高山の山頂に古本丸だけが築かれていたらしい。この古本丸からは、発掘調査によって、多くの建造物があったことが判明している。その後、この古本丸が火事で焼失したのち、もともとの二の丸が本丸になったとみられる。

 

本丸周辺は石垣で堅固に守られている。

 

 城は、この古本丸・本丸を中心に、北城、中城、西城という独立性の高い曲輪群から構成されている。これら独立性の高い曲輪群を総称して五城といい、このほか、付帯的な若狭曲輪・常磐曲輪・大野曲輪という三つの曲輪を合わせて五城三郭と呼ばれている。城域は、山上から山麓にかけて広がっており、戦国時代でも有数の巨大城郭だった。

 

 烏山城を築いた那須氏は、平安時代に藤原道長の後裔が戦功により下野国那須郡を賜わり、苗字にしたというが、はっきりしたことはわからない。一説には、古代の那須国造の系譜をひくともいわれており、こちらのほうが信憑性は高そうである。

 

 那須氏といえば、最も有名なのは、治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の内乱、いわゆる源平の合戦における屋島の戦いで平家側の小船に掲げられた扇を源義経(みなもとのよしつね)の命によって射落とした那須与一(なすのよいち)であろう。ただし、那須与一の逸話は、『平家物語』や『源平盛衰記』といった軍記物語にしかみえていないので、鎌倉時代の那須氏については、実のところ不明としか言いようがない。

 

那須与一
”那須氏の誉れ”としてその名を歴史に刻む武将。源頼朝に仕え、弓の名手として活躍した。(『奈須与一弓の譽 』東京都立中央図書館蔵)

 

 それはさておき、戦国時代になると那須氏は、烏山城を本城に勢力を拡大していく。惣領の那須氏のほか、一族や重臣の芦野氏・伊王野氏・千本氏・福原氏・大関氏・大田原氏らを従え、北関東に覇を唱えた。これら那須氏を中心とする七家は、俗に「那須七騎」と呼ばれている。ただし、こうした「那須七騎」は、一面では那須氏の勢力拡大に寄与したものの、一面では独立性が強いため惣領の那須氏を牽制することにも繋がった。そのため、那須氏は、強大な戦国大名に発展することはできなかったのである。

 

尾根を遮断する堀切。戦国時代からの遺構とみられる。

 

 こうした那須氏の混乱に乗じて、下野の宇都宮氏のほか、陸奥の蘆名(あしな)氏や常陸の佐竹氏が侵略してきたが、那須氏はこれを退けている。それは、烏山城の堅固さが影響していたことはいうまでもない。その後、北関東に相模の北条氏が進出してくるようになると、那須氏は、それまで対立していた宇都宮氏・蘆名氏・佐竹氏とも結んで抵抗した。こうした外交努力によって、那須氏は独立を維持することができたのである。

 

 天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原攻めを行うと、北条氏と対立していた那須資晴(すけはる)は豊臣方につく。しかし、参陣が遅れたことを理由に改易され、那須氏は没落してしまう。代わって成田氏・松下氏・堀氏・板倉氏が烏山城に入った。

 

 一方、改易となっていた那須氏は、那須資晴の子孫が再び大名に取り立てられ、板倉氏の跡を受けて烏山藩の藩主に復帰している。しかし、その那須氏も、貞享4年(1687)に家督争いが起きたことで再び改易となってしまう。以後、烏山城には永井氏・稲垣氏・大久保氏といった譜代大名が入り、幕末を迎えた。

 

 なお、山上の五城三郭は、江戸時代にはほぼ使用されることはなくなっていたようである。江戸時代の堀氏の時代には、山麓に御殿が設けられ、こちらが藩の政庁となっていた。

 

山麓に築かれた三の丸。江戸時代には藩庁として用いられた。

 

  烏山城の山上部分は、戦国時代の典型的な山城である。しかし、改修を重ねることで幕末まで利用され続けた。こうした歴史および遺構の貴重さが評価され、最近、国の史跡に指定されることとなっている。これから、さらに調査や整備が進むことを期待したい。

 

 

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小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

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