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飛騨国の中心として686mの山にそびえた名城「高山城」【岐阜県高山市】

城ファン必読!埋もれた「名城見聞録」 第15回


戦国時代、幾多の武将たちが争った。その基地となったのは、もちろん城であり、全国は多くの城が存在。今はその形跡を残すものもあれば、わずかな痕跡しか辿れない城もある。今回は知られざる岐阜・高山市の名城「高山城」の現在と歴史に迫る!


 

■飛騨の治世を安定させた金森氏の居城として栄えた城

 

復元整備されている本丸の石垣。

 

 高山城は、岐阜県高山市の東南に位置し、宮川(みやがわ)と江名子川(えなこがわ)の合流地点に屹立する城山に築かれている。城山の標高は680m以上もあるが、地表からの高さは100mほどであり、平山城とも山城とも言える。

 

 現在、城跡は岐阜県の史跡に指定されており、一帯は城山公園として整備されている。それだけでなく、城山公園一帯は野鳥生息地としても知られており、「高山城跡及びその周辺の野鳥生息地」として天然記念物にも指定されている。

 

 城は、城山の山頂に本丸を置き、高山市街が位置する北側に向けて、中腹に二の丸、山麓に三の丸を梯郭式に配している。曲輪の所々には石垣が残り、三の丸には水堀の遺構が見られるなど、見どころは多い。

 

かつては天守や本丸御殿が埋め尽くしていた本丸。

 

 高山のある飛騨国は、室町時代、守護の京極氏によって統治されていた。京極氏は、近江国を本国とする有力な大名であり、近江国ほか、飛騨国や出雲国を領国としていたものである。こうしたなか、飛騨守護代となった京極氏の一族多賀徳言によって高山に城が築かれたとされる。この城は当時、城内に近江国の多賀天神が勧請されていたことから、天神山城と呼ばれるようになったという。

 

 戦国時代になると、守護である京極氏の権勢は衰え、替わって飛騨守護代多賀氏の一族であった姉小路頼綱(あねがこうじよりつな)が台頭する。姉小路頼綱は、もともとは三木自綱(みつきよりつな)と名乗っていたのだが、飛騨国司であった姉小路氏の名跡を継いでいたものである。姉小路頼綱は、そのころ畿内を制圧していた織田信長にも通じ、信長の家臣で越中国を支配下に置く佐々成政(さっさなりまさ)を支援した。

 

佐々成政
織田信長の家臣団でも武勇に秀でた武将として知られ、信長の親衛隊筆頭として数々の戦功を挙げた。(「太平記英勇伝」東京都立中央図書館蔵)

 

 姉小路頼綱は、本能寺の変後も佐々成政と結んでいたため、佐々成政が柴田勝家(しばたかついえ)らとともに豊臣秀吉と対立するようになると、豊臣秀吉から追討を受けることになってしまう。こうして天正13年(1585)、越前大野城の金森長近(かなもりながちか)が飛騨に侵攻してきたため、姉小路頼綱は降伏した。これにより、飛騨一国は、金森長近によって平定されたのである。

 

児童遊園地や駐車場となっている二の丸。右端は金森長近の銅像。長近は秀吉傘下の武将として飛騨を与えられ、初代飛騨高山藩主ともなっている。

 

 その後、飛騨平定の功により、金森長近が38000石を与えられて飛騨国に入封した。金森長近は、いったんは高山市内の鍋山城に入るものの、天正16年(1588)には天神山城を改修し、居城を移している。これが現在の高山城である。

 

 戦国時代の天神山城がどの程度の規模であったのかはわからない。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いまでには、金森長近によって本丸・二の丸が完成している。関ヶ原の戦いで金森氏は、徳川家康に味方したことで23000石を加増された。そして、長近の養嗣子・可重(よししげ)によって高山城の改修は続けられ、慶長8年(1603)、三の丸が整備されたことで高山城は完成したとみられている。

 

 残念ながら現在の城山公園に高山城の建物は現存していない。しかし、残されている絵図によれば、本丸は天守と御殿が一体化した建物で埋め尽くされていた。二重三階の天守は御殿建築であったとみられており、織田信長の安土城や豊臣秀吉の大坂城の影響を受けていたようである。江戸時代に記された地誌『飛騨国中案内』には、「城郭の構え、およそ日本国中に五つともこれ無き見事なるよき城地」とある。日本でも五本の指にはいるほどの見事な城であったというわけで、現在の高山城からは想像もできないくらい、壮麗な建物群が存在していたらしい。

 

 ただ、高山城は、壮麗なだけではなかった。本丸に御殿と一体化した天守をおくことにより、本丸への侵入を阻むことができたのである。と同時に、城兵も本丸に籠もることを可能としていた。万が一、三の丸や二の丸が落とされたとしても、本丸を守り切ることができれば、落城することはなかったろう。

 

 高山城は、幸いにも戦闘に巻き込まれることはなく、長近・可重・重頼・頼直・頼業・頼旹(よりとき)の6代が居城とした。頼旹は、5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の側用人ともなったが、突如として罷免され、元禄5年(1692)には出羽国の上山に転封を命じられてしまう。失脚の理由については徳川綱吉の寵愛を失ったとか、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に讒言されたなどといわれるが、確かなことはわからない。

 

柳沢吉保
徳川綱吉のブレーンとして綱吉の治世で大きな政治手腕を発揮した人物。綱吉の寵愛を受け、類を見ないほどの昇進を果たしたことでも知られる。(国立国会図書館蔵)

 

 金森氏の転封にともない、高山城も廃城となり、破却された。このあと、飛騨一国が天領、すなわち幕府の直轄領となっていることを考えると、金森氏の転封は、天領とするために行われた可能性が高い。飛騨国は、鉱山や木材など、資源が豊かな国だった。

 

 高山城の廃城後、天領となった飛騨国は代官によって支配されることとなった。代官の陣屋は、金森氏の下屋敷跡に設けられており、これが現在、高山陣屋と呼ばれて観光地となっている。

 

水堀が当時の面影を残す三の丸。

 

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小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

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