実は気苦労だらけだった「御台所」の食卓
「将軍」と「大奥」の生活㉕
■料理は度重なる毒見を経て御台所の元へ

御台所の食事の様子。御台所の献立は将軍と同じであった。厳格な毒見制度があったため、食べるころには冷めてしまっていた。女中たちは自分たちの食事は自身で用意していた。国立国会図書館蔵
大奥における食事は、御料理場で男性調理人によって調理された。その重責を担っていたのは、御広敷(おひろしき)御台所組頭であった。御台所の料理は、御広敷でまず御用達が、次に御広敷番頭が一口ずつ味見をし、毒の入っていないことを確認していた。
料理は毒味用を含めて10人分作られ、御膳所(ごぜんじょ)に運ばれてくる。また、真鍮(しんちゅう)製の鍋に入れられ運ばれてきた汁は箱火鉢で温められた。次いで当番の中年寄が毒味を行い、問題なければ膳に盛り付け、御仲居(おなかい)、御次の手を経て「御休息之間」の入り口まで運ばれ、最後に御中臈(ごちゅうろう)が受け取って御台所の前に運ばれてくるのである。なお、味見以外の料理はおかわり用である。
『定本 江戸城大奥』によれば、朝食の場合、一の膳では汁は味噌汁に落とし卵、平(ひら)は「サワサワ豆腐の淡汁(つゆ)」に「花の香」を充分に入れたもの、置合(おきあわせ/口取/くちとり)は蒲鉾(かまぼこ)、クルミの寄せ物、金糸、昆布、鯛の切り身、寒天などだったという。
また、一の膳には料理以外のものも並ぶ。朝食時にのみ飯粒3つを入れて蓋をした千木筥(ちぎばこ)が置かれた。千木筥は芝神明(しばしんめい/現・芝大神宮)の祠官(しかん)によって納められたものである。そして、胡粉(ごふん)を塗った小さなおもちゃの鳩一羽の入った京焼の小さい蓋物も置かれていたという。
二の膳の焼物は魴鮄(ほうぼう)、御外の物は卵焼きに乾海苔を巻いたもの、御壺は煎豆腐、香の物は瓜粕漬け、大根の味噌漬けなどであった。
御台所の食事の際、御年寄は御膳の向かい側に乗せてある柳箸で魚などをむしって差し出す。魚は一箸でもつければすぐにおかわりが出てくる。ご飯は3杯までに決められていた。御台所が食べ終わると、春慶塗(しゅんけいぬり)の三方に乗せられ小室焼(こむろやき)の茶碗の添えられた銀瓶入りの煎茶が運ばれてくる。ちなみに、小室焼は「水毒(すいどく)」を消すという伝承があるという。お茶が済めば膳は下げられた。
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