大奥の女性たちの「給与」事情
「将軍」と「大奥」の生活⑰
■女中の諸手当は役目の他に、住居手当と部屋方用があった

代参で訪れた上級女中の姿。
「お清」の御中﨟は御台所や側室が将軍と一夜を共にする際、次の間に控え寝間のやりとりを聞き、翌朝御年寄に報告する役目もあった。「大奥法度」により、側室が寝間で将軍に個人的なおねだりをするのを禁止するためであった。『江戸名所美人 東本願寺』/都立中央図書館蔵
大奥女中は、いまでいえば幕府に雇われた国家公務員である。給与は幕府が支払う。年代によって給与の年額などが異なるが、江戸後期の例をまとめて紹介しよう。
本給にあたるものは切米(きりまい)といって幕府の御蔵から支給されていた。武士の場合、春、夏、冬の三季に与えられたが、奥女中は5月と10月に分けて与えられる。むろん、米そのものをもらっても困るので、切米は浅草蔵前の米問屋に持ち込み、時価で金に替えてもらう。
合力金(ごうりききん)、扶持(ふち)というのもある。合力金は衣服代の特別給与で、扶持は毎日の食費だ。これは男女によって区別され、男扶持は1日5合、女扶持は1日3合である。奥女中の場合、女扶持は最下級の御使番と御末だけで、あとは男扶持をもらった。毎月30日分ずつ現物を給与された。
大奥の女中は自分の部屋で女中(部屋方)を使うことができたが、その日々の食費は、この扶持のなかから当てた。
さらに、炭、薪(たきぎ)、湯之木(ゆのき)、油が燃料用として現物支給される。炭や薪はそのため、最高位の御年寄(おとしより)は10人扶持、御客会釈(おきゃくあしらい)では5人扶持となる。それ以下の役職では3人扶持か2人扶持だった。
薪は炊事の煮炊き用で、御年寄20束、それ以下は役職に応じて10束から6束まで少なくなっていく。炭は暖房用。湯之木は、風呂の湯を沸かすのに使う薪。炊事用とは別に風呂用の薪が支給された。階級によって1日に2度とか1度、あるいは隔日などと入浴の回数が異なる。しかも季節によっても回数が違うので、支給される湯之木に増減がある。
油は現物支給で、光熱用として使われた。有明(ありあけ/終夜燈/しゅうやとう)と半夜燈(はんやとう)とがあり、油の使用量も違ってくる。有明は夜通しで灯しておく行灯で、半夜は半夜で火が消える。
御年寄の場合、有明燈1、半夜燈2で、部屋を明るくしておける。しかし、階級が下の御仲居、御使番、火之番、御末(御半下)では、半夜1か、半夜半分だった。
部屋の広さによっても5燈(5か所)からふたつで1燈まで、大きな差があった。油の量は有明燈1、半夜燈1を使用している場合、1か月1合5勺が支給された。
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