将軍が大奥に泊まる際の「手順」
「将軍」と「大奥」の生活⑥
■中奥で独り寝した将軍も翌日は御座之間で御台に挨拶

御座之間地絵図
御台所が大奥で日常生活を過ごす場所は、いくつもの部屋で構成された御座の間だった。北側に30畳の上段の間、その南に20畳の下段の間。さらにその東側に二の間(20畳)三の間(12畳)があった。『豊田家文書』/都立中央図書館蔵
将軍が日常生活を送るのは中奥と大奥だが、どちらにも寝所が設けられていた。中奥で寝る場合は「御休息(ごきゅうそく)之間」が寝所となる。御休息之間は居間そして執務室としても使われた。その近くにある「御小座敷(おんこざしき)」も居間として使われたが、表からやって来る役人と対面する部屋としては、別に「御座之間(ござのま)」があった。
起床後、将軍は大奥に向かい、そこで御台所の挨拶などを受けることになるが、大奥で寝る場合は「御小座敷」が寝所に充てられた。
御殿は表と中奥と大奥の3つに分かれていたが、表と中奥は一体化した空間だった。要するに、何か仕切りが設けられたわけではない。両空間は将軍や家臣たちが始終出入りすることを踏まえ、仕切りはなかった。
ところが、中奥と大奥は銅の塀で厳格に分離された。これは、外部から大奥への出入りを遮断したい幕府の強い意思の表れに他ならない。
銅塀(どうべい)で遮断された中奥と大奥の間には、両空間を繋ぐ廊下が設けられていた。これは「御鈴廊下(おすずろうか)」と呼ばれ、将軍だけが通れた通路である。御鈴廊下を経由して、将軍は中奥と大奥を行き来した。
御鈴廊下にもふたつあった。「上之御鈴廊下」と「下之御鈴廊下」である。普段使用されたのは上之御鈴廊下の方で、下之御鈴廊下は火事の時など緊急時に使用された。その名称が示すとおり、御鈴廊下の入口には大きな鈴が付けられており、大奥に将軍が入る時、この鈴が鳴らされた。
中奥と大奥には御鈴番所(おすずばんしょ)が置かれ、人の出入りを監視していた。中奥にいた将軍が大奥に入る場合は、中奥の御鈴番所で鈴が鳴らされ、将軍の通過つまり御成(おなり)を大奥に予告した。逆に大奥にいた将軍が中奥に戻る時は、大奥の御鈴番所で鈴が鳴らされ、中奥に予告した。
入口は「御錠口(おじょうぐち)」と呼ばれた。中奥と大奥を仕切る襖(ふすま)に錠前が付けられており、鍵を入れて襖を開け閉めして将軍を通過させたからだ。その管理を担当した奥女中は、「御錠口」と呼ばれた。そのまま役職名になったのである。
鈴が鳴らされると、奥女中たちは御鈴廊下に集まってくる。将軍の御成を平伏しながら待つ。準備が整ったところで、御錠口が錠前に鍵を入れる。襖が引かれると、中奥にいた将軍は御鈴廊下に足を踏み入れた。
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