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徳川将軍の子どもはなぜほとんどが5歳までで死去してしまうのか?─大奥の子育ての問題─

女の園・大奥の謎【第5回】


生涯にもうけた子どもの数が50人以上という11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)。その子どもの半数以上が成人しなかったのは、大奥ならではの育児事情に原因があった。


春日局が穿いている緋袴は、宮廷の女性たちが着用していたもの。つまり春日局には宮廷(御所)に上がる資格があったことを表している。(春日局像[摸本]/東京国立博物館蔵、出典:国立文化財機構所蔵品総合検索システム)

 

 11代将軍徳川家斉は、なんと生涯で53人(一説には55人)の子どもをもうけた。そのうち、成人したのが、わずか26人。半分以下である。そのほとんどが、5歳までに亡くなっている。江戸時代には7歳までは神のうちといわれて、乳幼児死亡率が2割とも3割ともされているとはいえ突出している。

 

 どうして、将軍の子どもは、成人しないのか? これは、大奥ならではの子育てに理由があった。

 

 今では、母親が子どもを育てることが当たり前だが、かつてある程度ゆとりのある家ではそうでなかった。「乳母(めのと/うば)」と呼ばれる子育てを担当する女性が雇われていたのである。

 

 日本史上もっとも有名な乳母といえば、三代将軍徳川家光(いえみつ)の乳母春日局(かすがのつぼね)であろう。嫡男の家光よりも弟の忠長(ただなが)を将軍にしようとする秀忠(ひでただ)と江(ごう)に対して、徳川家康(いえやす)に直訴し、次期将軍は家光であると言質を取った。また、家光が疱瘡(ほうそう/天然痘/てんねんとう)を患(わずら)った時に平癒祈願に出かけ、多賀社、伊勢神両宮、山城愛宕社を参拝した後、御所で後水尾(ごみずのお)天皇と対面。御所に上がるには官位が必要なため、手を尽くして従三位という地位を手に入れた。徳川御三卿(ごさんきょう)当主や水戸家の当主が従三位で、百万石を誇る大大名の前田家当主でも正四位下だから、小藩の藩主は、足元にも及ばないような高い位だった。

 

 江戸城の外に屋敷を持ち、そこで幕閣や大名たちと面会していたといわれており、春日局は、副将軍ならぬ、乳母将軍ともいうべき存在となっていた。彼女の家族も恩恵を受け、乳母になる際に離婚した元夫の稲葉正成(いなばまさなり)は1万石の大名となり、息子の正勝は、小田原85千石を与えられた。

 

 しかし、春日局の巨大な権力をよしとしない人が多かったのだろうか。この後、乳母は、養育をする御乳人と、授乳だけを担う乳持に二分されてしまう。そして、前述した11代将軍徳川家斉の時代には、乳持の地位は低くなり、御家人や駕籠(かご)かきを担当する六尺の女房から選出。選ばれた女性たちは、食べ物や飲み物、薬などを厳しく制限された上、将軍への拝謁が叶わない身分のため、目隠しをして、子どもを抱かないという不自然なスタイルで授乳した。

 

 授乳経験者や授乳風景を見たことがある人ならばわかると思うが、子どもがむずかってなかなか乳を飲もうとしない場合や、暴れて途中で中断することなどのトラブルが日常茶飯事なのだ。つまり、乳を与える者があやすなどしてうまくサポートしてやらなければ、子どもは必要な分だけ乳を摂取することが難しい。抱いてあやすことも禁止されていたというから、子どもたちはいつまでも空腹のままだったのかもしれない。

 

 また、当時の女性たちの化粧法も子どもが育たない要因のひとつであったという説がある。現在、おしろい(ファンデーション)は、主に顔に塗っているが、日本では長い間、顔だけでなく、首や背中、胸元にもおしろいを塗っていた。つまり乳房のあたりにもおしろいが塗られていたため、授乳の時に子どもが意図せずおしろいを口にしてしまう可能性が果てしなく高い。おしろいは明治前半まで毒性の高い鉛が使用されていたものが一般的で、一説によると江戸時代から明治時代にかけて多くの役者がおしろいを多用したことにより命を落としたという。

 

 もちろん、これだけが原因とはいえないが、思うように乳が飲めない上に、毒物にもさらされている大奥の育児環境が、乳幼児死亡率5割強という子どもにとって過酷な結果を導いたのであろう。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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