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江戸の女性たちが最もあこがれた職場であった「大奥」に勤めるにはどうしたらよいのか?

女の園・大奥の謎【第4回】


江戸の女性たちが最もあこがれた職場であった大奥。旗本(はたもと)や御家人の娘が奉公する場所であったが、町人や農民の娘でも勤めることができた。


「千代田之大奥 入浴」(国立国会図書館蔵)
入浴後に飲むお茶を差し出す女中。こうした日常の様々なことについてかゆいところに手が届くようなケアをすることも、大奥女中の仕事であった。

 江戸時代、江戸やその近郊に住む女性にとって武家屋敷に奉公に上がることはあこがれの的。では、そのためにどうしたらよいのだろうか? ゆとりのある家では寺子屋で読み書きの他に、女の子は琴や三味線、踊りなどの芸事を習わせていたという。女の子に芸事を習わせたのは、武家屋敷に奉公に上がるのには面接の他に実技試験があったからだ。これは、奉公に上がった先で、主の気晴らしとして、彼女たちの演奏や踊りを楽しむことがあったためだという。今のようにゲームや、ネット、テレビといった室内で楽しむ娯楽がない時代であったからだろう。中には柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の孫・柳沢信鴻(のぶとき)のように、面接の時に自ら臨席して採点したと伝わる。

 

 大奥では、武家屋敷に奉公する時のように、芸事の実技試験はなかったようだ。あったという記録がないだけで、もしかしたらあったのかも知れない。

 

 子どもを大奥に奉公に上げたいと思う親は、子どもに芸事を習わせるよりも、大奥にコネがある人を見つけることに苦労した。実は、大奥女中(じょちゅう)は旗本や御家人の娘から採用するのだが、コネや伝手があれば町人や農民の娘でも最下級の女中や下女(げじょ)にはなることができたからだ。最近の研究で、江戸近郊だけでなく、現在多摩地区と呼ばれているようなところの娘たちが奉公していたことが明らかになっている。

 

 大奥に伝手を持ち、身元保証人となってくれる人のことを宿元という。より高い身分の宿元を血眼(ちまなこ)になって探すこともあったようだ。なぜかといえば、地位によってその大奥での待遇が違ってくるからだ。武家屋敷に奉公したいと人以上に大奥に勤めたいとい人は多かったようで、元禄12年(1699)に出された女中法度には奉公人を雇う時には親類・縁者でも贔屓(ひいき)などせずに人柄を重視することと書かれている。

 

 さて、大奥には、幕府が正式に採用する女中と、その女中たちに雇われている「部屋方」と呼ばれる女中の二種類いた。大奥のトップの方の女中となると部屋方を20人ほど雇っていたこともあったという。まずは、こうした部屋方として採用されて、大奥生活をスタートさせる。日々の勤めぶりが運よく認められると、幕府が正式に雇用する大奥女中になるための願いを出し、「御吟味(ごぎんみ)」という沙汰(さた)が出るのを待つ。御吟味では御年寄の前で文字と裁縫の試験を受けなければならない。その後、身元調べがあり、正式に採用が決まると「●月●日、引越上り可申候」と御沙汰書が届くことになっていた。

 

 御年寄から給与目録と、名前、役向きをいただく。大奥では、本名ではなく、瀧山、江島といった名前で呼ばれることになっていたからだ。この後将軍の妻である御台所にご挨拶するのだが、宿元が旗本と御家人ではする場所が違った。この後の出世も宿元の身分によってほぼ決まっていたという。大奥での出世は「1に引、2に運、3に器量」といわれたように高い地位にあった宿元の引き立て次第で、宿元が御家人の場合や、町人、農家の娘はほとんど出世は望めなかったという。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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