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諸藩を苦しめた参勤交代に伴う江戸時代の大名たちの「懐事情」とは⁉

今月の歴史人 Part.3


「参勤交代には多額のお金がかかる」ということは知られているが、その金額はいったいに「何に」「どこくらい」のか、細かくは知られていない。ここではその詳細について紹介していこうと思う。


 

■莫大な出費をかけてでもやらねばならない大事業

 

藩の支出

 

 参勤交代は、多額の費用がかかる事業であった。藩によって幅はあったが、おしなべて人件費の割合がもっとも高く、30から40%程度を占めていた。

 

 行列の総人数をみると、加賀藩前田家の場合、4代藩主・綱紀(つなのり)時代は4000人、仙台藩4代藩主・伊達綱村(だてつなむら)も3500人という大掛かりな人数だったという。

 

 こうした人数の多さは幕府の頭痛の種で、元禄期以降たびたび人数制限の規制を出しているが、8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)は、ついに1万石、5万石、10万石、20万石ごとに馬上、足軽、中間人足の人数を規定した。たとえば、20万石なら中間人足250~300人、1万石なら30人という具体的な数字を示し諸大名たちに遵守を求めたのである。さらに、参勤交代が特定のルートへ集中することによる、道中の宿場の負担軽減のため、通行を規制するなどの対策もとられるようになった。

 

 こうした事情をみると、参勤交代制度が、かつていわれていたように「諸大名の財力を削ぐ」という意図で行われたわけではないことは明らかである。

 

 なによりも諸大名にとっては、参勤交代は莫大な費用をかけてもやらねばならない事業であった。その行列は、それぞれの「武威」「家格」を領民はもとより、街道沿いや江戸の人々に広く見せつけるほとんど唯一の機会であったからである。とくに城下に入るときは、わざわざ泊まりがけで藩主の姿を見に来る領民もいたらしく、鳥取藩では7000人ほどの群衆が集まったこともあったという。そのためか、一般的に参勤交代では、行列が城下に入るのを正午前後に合わせることが多かった。

 

 もっとも、さすがに江戸時代後半になると、どこの藩も財政難に苦しみ、その影響は参勤交代の行列にも及んだ。

 

 たとえば、仙台藩は「伊達者」といわれるように行列が派手で、それは東日本が冷害にあえいでいた天明8年(1788)の飢饉の際も変わらなかったという。しかし、さすがに長続きせず、翌年には人数を3分の2に削減、幕末には1600人弱と往時の半分以下になっている。

 

 なお、随行する藩士の個人負担も相当な額で、仙台藩の場合は、1000石以下の家臣に対しては補助をしていた。それでも不足したため、「催合(もあい)制」と称する相互扶助制度を制定している。これは家臣たちが禄高に応じて一定の米を積み立てて旅費の足しにしたもので、身分に応じて分配される仕組みであった。

 

■莫大な出費が生んだ参勤交代に伴う経済効果

 

武鑑(寛政武鑑)
武鑑とはいわば大名図鑑のことで、諸藩の装備なども記載。庶民がこれをもとに大名行列を見学することもあり、大名たちは気を抜けなかった。(国立国会図書館蔵)

 

 参勤交代にかかる費用は道中の人件費や宿泊費だけではない。当然、諸道具の準備にかける費用や、宿泊費をはじめ多くの費用が発生した。

 

 これらの費用は、各大名の領地から江戸に回送して売却された年貢米などにより賄われ、行列の大部分を占めた人足への賃金や諸道具の新造や修復にもあてられた。もちろん街道沿いの各宿場、人足への支払いなども同様であった。

 

 これに関しては、川止めや藩主の病気など、不測の事態で予定していた宿泊などをキャンセルしなければならない場合、宿場や人足などに補償金を支払う義務があったことも付言しておきたい。

 

 また、藩主以下多くの供連れが、江戸で半年ないし1年間生活したことによる消費も無視することはできない。

 

 鳥取藩の寛政期ごろの場合、藩主が江戸にいるだけで、不在時より1万5000両ほど多く出費があったというから、そのほか藩士の消費なども考えると相当な経済効果を江戸にもたらした。吉宗による「上米の制」による在府期間短縮による節約効果が大きかったことがわかる。

 

 ただ、これには国元からの不満もあったようで、水戸藩の学者・藤田東湖(ふじたとうこ)は「定府(じょうふ)同様になって江戸在住と水戸在住の藩士は互いに田舎者、軽薄者と軽蔑している」などと指摘している。同様の意識は多かれ少なかれ各藩共通の意識としてあったろう。

 

監修・文/永井博

(『歴史人』2023年1月号「江戸500藩変遷事典」より)

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