江戸時代も男たちを夢中にさせた「床上手」な女たち【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語㉟
現代まで使われているもの、意味が変化したもの、まったく使われなくなったものなど「言葉」は時代とともに変化していくもの。ここでは現代では使われていない「江戸時代の性語」を紹介していく。
■床上手(とこじょうず)
男を夢中にさせるような性技を持った女のこと。
吉原の遊女は、教育・訓練を通じて床上手に仕込まれた。
しかし、素人の女にも床上手はいた。
「させ上手」ともいう。

図 床上手な女
(『三体志』歌川国貞、文政十二年、国際日本文化研究センター蔵)
【用例】
①春本『願ひの糸ぐち』(喜多川歌麿、寛政十一年)
男が女と交わりながら、評する。
「おめえのような、美しい、痩せもせず、太りもせず、その上、このようにぼぼがよくて、させようが上手で、腎張で、よくよがる女は、この日本にたったひとりだ」
「ぼぼ」は女性器、「ぼぼがよい」は名器のこと。
「させようが上手」とは、床上手のことである。
この「腎張」は女に対する評言なので、精力絶倫というより、淫乱や好色の意味合いが強い。
それにしても、男にとっては何拍子もそろった、理想的な女といえようか。
②春本『三体志』(歌川国貞、文政十二年)
男が女に言う。
「おらぁ、十四から始めて、ちっとは女の味も知っているが、おめえのような上開(じょうかい)で、させ上手はねえ」
上開は名器のこと。女は上開で、しかも床上手なわけである。
男は十四歳で筆おろしをしたようだ。
③春本『偽紫女源氏』(歌川国貞、弘化四年頃)
お艶(つや)と徳七の情交。
お艶は名うての交接上手(させじょうず)、徳七の一物(いちもつ)も玉中(ぼぼのなか)いっぱいにふくれあがり、さすがにぬらつきしも、玉門(ぼぼ)のきしむばかりになりけるゆえ、吸い込みて抜けることなく、
交接上手を「させじょうず」と読ませている。床上手のことである。
④戯作『七偏人』(梅亭金鵞著、文久三年)
人は見目より床上手、そりゃあもう、可愛がって、可愛がって、
「てめえになら命をつまみ取られても惜しくはねえ。ほんに殿御(とのご)の命取りだ」
と、言っておくんなはるお人があるんでありますよぉ。
女は美人より、床上手の方がよいということ。花より団子ということだろうか。
⑤回想記『吉原はこんな所でございました』(福田和子著、昭和六十一年)
著者が、光代という元遊女の言葉を書き留めている。おばさん(遣手にあたる)が、光代にこう言ったという。
「とくに床惚れってのは大事だから、お床上手になって、お馴染みさんをたくさんつくって、うんと稼ぐようにしなくっちゃいけない」
太平洋戦争前の、昭和の吉原である。
江戸時代はもちろん、明治以降も、吉原の遊女は床上手に仕込まれた。
「床惚れ」という言葉も含蓄がある。
[『歴史人』電子版]
歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
永井義男著 「江戸の遊郭」
現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。