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大奥で暮らす奥女中の「身分」と「役職」

「将軍」と「大奥」の生活⑦

■大奥を運営するためのエリアと職制とは

1から4まであった江戸城長局
長く1棟に造っていくつにもしきった女房の住居で、江戸城、諸藩の城中などに設けられていた。そこに住み御殿向で御中臈から御末まで奥女中たちが生活していた。『江戸錦』/都立中央図書館特別文庫室蔵

 江戸城本丸御殿(ごてん)は壮大で、美しい建造物だった。弘化2年(1845)の図を見ると総建坪は1万1373坪。そのうち大奥だけで6318坪である。本丸全体の半分以上を占めていたのだ。

 

 大奥は女だけが集まって仕事をし、暮らす不思議な空間だが、大別すると「御殿向」「長局向(ながつぼねむき)」「広敷向(ひろしきむき)」の3つのエリアに分けられる。

 

 御殿向は、将軍の大奥での寝所である御小座敷、対面に使われる御座の間、御台所が日常生活をすごす新御殿、御休息の間などがあった。

 

 長局向は奥女中たちの宿舎(生活の場)である。

 

 部屋数は一(いち)の側(かわ)12部屋、二の側21部屋、三の側21部屋、四の側19部屋、一の横側4部屋、二の横側4部屋、三の横側4部屋、東長局9部屋、合計94部屋で100部屋にも及ぶ。ほかに御末(おすえ/御半下/おはした)の大部屋が5部屋つくられていた。

 

 ここで約1000人の女たちが仕事をし、生活していたのである。

 

 ただし、3つ目の広敷向には幕府の男性役人が約300人勤務していた。女性ばかりの大奥を警備したり、事務をとったりするほか、建物などの修繕や御台所が用いる物品の調達をするのが仕事だった。

 

 むろん女性が主体で、しかも1000人以上が一か所に集まり、生活しているのだからむずかしい課題も多い。そこで職制をきびしく整備し、幹部の女性たちは組織が円滑に動くよう気を配った。

江戸城の医師を束ねる典薬頭以下の奥医師がおり、部屋方が診てもらうのは番医師で、御広敷番の頭の案内で部屋まで行って診察した。「徳川盛世録」/国立国会図書館蔵

■「側室」は「将軍付」から出るのが慣例

 

 奥女中の役職をすべてこの場では紹介しきれないので、主なものにとどめておく。

 

 第一の権力者は「御年寄(おとしより)」といい、奥向のすべてを差配する。表向の老中に匹敵する実力を持つ。この上に「上﨟(じょうろう)御年寄」という役職があるが、公家出身の御台所をサポートするために京都から大奥へ入った。その下に「小上﨟(こじょうろう)」があるが、これは上﨟の見習の役職である。

 

 つぎの重職は「御客会釈(おきゃくあしらい)」で、御三家や御三卿、諸大名からの女使(おんなつかい)を接遇する。この職を経て御年寄へと出世する例が多い。さまざまな実力者の使者(女使)への接遇を通して対応力が身につき、官僚としての実力が育ち、出世の道が開かれていく。

 

 将軍と御台所の身辺の世話をする大奥の官僚が「御中﨟(おちゅうろう)」である。将軍付と御台所とが別々にいるが、将軍付のなかから側室が出る。

 

 御台所の小間使は「御小姓(おこしょう)」といい、煙草や手水の世話をする。8歳から15歳くらいの少女が多い。

 

 つぎに重要なのが「御錠口(ごじょうぐち)」である。中奥と大奥とのあいだに錠口があり、普段は出入りできないようになっているが、この錠口を管理する。そのほか中奥との取次も担当した。

 

 大奥の外交を担当するのが「表使(おもてづかい)」というポスト。買物係といってもよく、御年寄の指図にしたがって大奥に必要な物品を購入する。

 

 大奥女中のなかで異色なのは「御伽(おとぎ)坊主」だ。その名称の通り、頭を丸めた50歳前後の女で将軍付だが、羽織袴を着用した。将軍の奥泊まりのとき、御台所や側室への伽の連絡をつとめた。このため、特別に中奥への出入りを許されていた。

 

 ほかに表使の下働きをする「御広座敷(おひろざしき)」、御年寄など上級女中の部屋を掃除する「御三の間」もいる。さらに御膳所(ごぜんしょ)で煮炊きをする「御仲居(おなかい)」、火の用心を告げながら長局を巡回した「火の番」、代参(だいさん)の供や広敷役人(男性)との取次をする「御使番(おつかいばん)」という役人もいた。

 

 一番下の女中は下女とも呼ばれた「御末」(御半下とも)だが、これは風呂や食事の水汲みなど力仕事が多い。姫君や大名の正室が大奥を訪ねたときは、客を豪華な駕籠に乗せたまま、御広敷門から大奥御殿内の「御対面所」まで運ぶ。10人ほどの御末が担ぐのが習慣だった。

御広敷を警備する番之頭ほか、伊賀者。御台所のために家具・調度、呉服を調達する御広敷役人(御台様御用人)と上役・留守居がいたが一般女中と接点はなかった。国立国会図書館蔵

 

監修・文/中江克己

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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