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4代家綱の頃からルーティン化した将軍の「日常」

「将軍」と「大奥」の生活⑤

狭い行動範囲で規則正しい生活を送る

【将軍の1日のタイムスケジュール】

 ここでは、「将軍の仕事と生活」というテーマで江戸幕府将軍の1日、江戸城で執り行われた行事、さらに定型的な年中行事を確認していく。

 

 まず、将軍の「1日のタイムスケジュール」を見ていただきたい。これは、幕末の記録や、明治になってからの回顧録をもとに作成した表である。

 

 タイムスケジュールを見ると、明六つの起床に始まり、食事(五つ)、大奥での総触(そうぶれ/四つ)、講義と政務(四つ半~八つ)など、実にきっちりと、1日の日課が決まっていることが特徴である。さらに、これに種々の行事が加わるのだから。将軍の日常もなかなかにハードなものであったといえるだろう。

 

 非常に規則正しい日課が遂行されているのはなぜだろうか。

 

 大きな理由は、太平の世の到来であろう。寛永14~15年(1637〜1638)の島原・天草一揆を最後に、国内に戦争がなくなった。4代将軍、幼少で任官した家綱(いえつな)の頃は、社会不安が漂っていたが、幕閣の集団指導体制で乗り越えることができた。後に立派な青年将軍となった家綱は、寛文3年(1663)に諸大名に武家諸法度(寛文令)を発令し、翌年から2年がかりで大名・寺社・公家すべてに領知を安堵する寛文印知(かんぶんいんち)を断行し、統一的知行(ちぎょう)体系を掌握した。

 

 これらを受け、幕府は真の全国政権となり、泰平の世が到来する。将軍の上洛もなくなり、江戸が唯一の政治拠点となる。このような時代変化の中で、次第に将軍の政治内容も固定化し、規則正しいものになっていったのではないか。並行して、将軍の行事や年中行事も内容が定まっていったと考えられる。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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