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将軍の寵愛よりも「女性としての幸せ」を選んだ大奥の女性たち

「将軍」と「大奥」の生活⑫

■大奥勤めを通して向上した女中たちのスキル

現在の絵島囲み屋敷(長野県伊那市高遠町)の外観。江戸時代に起こった「江島事件」で、大奥御年寄であった江島が流された場所の屋敷を復元したもの。昭和42年に当時の資料から復元された。

 大奥での一番の出世は将軍の寵愛を受け、男子を産むこと、と考えられていた。さらに男子が将軍になれば将軍生母という名誉と地位を手にすることができる。

 

 そこで奥女中たちは有望な若い女性を自分の部屋に同居させ、教養や作法を習得させた。将軍の寵愛を受けるには、まず将軍の目にとまらせなければならない。そのために「御庭御目見得(おにわおめみえ)」が行なわれた。

 

 これを仕組むのは御年寄(おとしより)や御客会釈(おきゃくあしらい)だった。自分の部屋方などに華やかな振袖を着せ、将軍の目に触れるように時間を見はからって大奥の御庭を歩かせるのだ。

 

 これは一種の〝代理戦争〟のようなものだった。

 

 大奥の女中のなかには、将軍の寵愛を得て側室になるよりも、別の道をめざす女中も少なくなかった。むしろ、数からいえば、御台所の座をねらうのではなく、一人の女性としてそれなりに幸せであればよい、と考える女中が多かったようだ。

 

 たとえば、大奥での勤めに励み、貯蓄に精を出す。こうしてある程度金がたまったら実家へ送るのである。経済的にたいへんな状況であれば、どれほど助かったかわからない。

 

 大奥は行儀作法にうるさいところだから、これを身につけ、良縁を得た、という話もある。御祐筆(ごゆうひつ)という役職は、日記をはじめ、大奥での通達文書、諸家への文書を担当した。文書を扱っているのだから文字には慣れてくるし、自らの腕をあげる女性も少なくない。

 

 そうした一方、御三家や御三卿、諸大名から大奥への献上物が多いので、これもチェックしなければならない。その上で御年寄に差し出す仕事もある。これも御右筆の仕事だから、次第に物を見る目も磨かれてくる。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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