大奥の女性たちのストレス発散に一役買っていた「行事」と「甘味」
「将軍」と「大奥」の生活㉔
■外出の機会がほぼ無くストレスが溜まりがちだった大奥の女性たち

長局に住み込みで働いていた大奥女中が、休暇を得て宿元などに一時的に帰る “宿下がり”の際に楽しんだ花見の様子が描かれている。歌川豊国(4代)作『新板宿下遊楽双六』都立中央図書館蔵
江戸城御殿の表では、年始や五節句(せっく)などの式日(しきじつ)に諸大名が登城し、将軍を主宰者とする様々な行事が盛大に執り行われていたが、そうした事情は大奥も同様である。表での行事を主宰するのが将軍だったのに対し、大奥での行事の主宰者は御台所(みだいどころ)であった。
実家への宿下がり、あるいは御台所や御年寄(おとしより)による寺社参詣で御供する以外、奥女中たちの日々の行動範囲は大奥内に限定されたのが実情だ。そのため、ストレスがどうしても溜まりがちだった奥女中たちにとって、大奥で執り行われた行事に参加することはこの上ない楽しみになっていた。貴重な気晴らしの機会だったのである。
大奥内の行事は五節句など表での行事と共通するものが多かったが、何と言っても心が浮き立つのは食べ物などを振る舞われる行事の時だったのではないか。
江戸城内では、菓子が主役の儀式が毎年2度執り行われている。6月16日の嘉祥(かじょう)の日と、10月の最初の亥いの日にあたる玄猪(げんちょ)の日だ。
両日とも江戸在府中の諸大名は江戸城に登城し、嘉祥の日には将軍から菓子を、玄猪の日には亥(い)の子餅を下賜されるのが仕来(しきた)りであった。菓子にせよ、亥の子餅にせよ、食すれば厄を払えると信じられており、いわば神様からの御供物(ごくもつ)のようなものだったといえよう。
大奥でもこのふたつの行事が取り入れられている。嘉祥の日には菓子を、玄猪の日には餅が下賜(かし)されたのである。
五節句の際に開かれる宴も楽しみだった。3月3日の上巳(じょうし)の節句では雛人形が飾られたが、単に人形を愛でるだけでなく、その際の飲食も楽しみだったことは言うまでもない。同じ3月には桜の花見、そして花見の宴も楽しんでいる。
五節句では9月9日の重陽(ちょうよう)の節句も楽しみであった。菊の節句とも呼ばれたように、重陽の節句では観菊の宴は御約束のイベントであり、その際には菊の花びらを浮かせた菊酒を飲むことで無病息災や長寿を祈っている。
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