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大奥の女性たちの「引退」と四季の「行事」

「将軍」と「大奥」の生活⑭

■奉公の期間は女性によって様々

実家に帰る「宿さがり」の様子。大奥に勤めると、3年に1度は実家に帰ることが許された。しかし仕事の都合が悪ければ願い出せず、上級女中は里帰りが出来なかったと伝わる。

 将軍に御手を付けられた女中は「御手付中﨟(おてつきちゅうろう)」といわれた。側室だが、妬(ねた)みから「汚(けが)れた方」とも称された。奥女中は、将軍の死去はむろん、代替りによっても奉公をやめる例が多い。その逆に数代にわたって勤める女中もいた。

 

 たとえば、11代家斉(いえなり)の女中は132人いたが、家斉死去のとき、剃髪した者は53人いたし、暇をもらった者が36人いた。ほかに43人が残り人、すなわち奉公を継続したとされる。

 

 また30年以上勤務した者は剃髪(ていはつ)したが、扶持(ふち)米などは生涯もらうことができた。もっとも途中で暇を取る者もいたが、その理由は病気を患った者が多かったという理由もあったようだ。

 

 御台所(みだいどころ)の場合、ほとんどが西の丸大奥に引退した。ただし、新将軍との関係で養母として本丸大奥に残ることもできた。江戸後期には現在の日比谷公園のあたりに桜田御用屋敷が造営され、側室は亡き将軍の位牌を部屋に安置して隠棲生活をすごした。

 

 奥女中が病気になったときには、桜田御用屋敷に併設された養生所で治療を受けることができた。病没した場合、葬儀は桜田御用屋敷で執り行なった。

大奥内で出来た買い物の様子。御目見得以上の女中は江戸城外に自由に出ることができなかったたため、商人の番頭や手代が大奥に品物を揃えて置いていた。長局にはいろいろな露店が出向き、女中たちが買い物を楽しめた。大奥女中が引退して江戸城外に出たときはかえって不便になったとも伝わる。『風俗画報 灌仏会の図』/国立国会図書館蔵

■大奥に出入りできた男性たちとは?

 

 ところで男性役人が勤務する「御広敷向(おひろしきむき)」なしに大奥は成り立たない。中奥と大奥とは銅塀(どうべい)で仕切られているが、男性官僚が大奥のことを知るために話し合う必要に迫られることもある。表の老中、中奥の側衆は、大奥に出入りできた数少ない男たちだ。

 

 奥医師は中奥詰めとして控えており、必要に応じて大奥にうかがう。内科、外科、鍼科、口科、眼科などの専門医が女中患者の症状に応じて診察する。

 

 たとえば御台所に懐妊の徴候が出ると、奥医師を呼び、診断を受ける。懐妊がはっきりした場合、御不例(ごふれい)といって御休息の間に引きこもった。

 

 そうした一方、大奥では元旦の御清めの式をはじめ、四季折々の行事があった。奥女中の楽しみでもあるが、なかでも年末の煤払(すすはら)いが一種の気ばらしのイベントになっていた。12月1日から12日までつづく長局の大掃除だが、手間もかかる。

 

 それに御殿向(ごてんむき)は御末(おすえ)など身分の低い者は入ることができない。そこで御中﨟(ごちゅうろう)も動員された。煤払いが終わると女中たちに蕎麦が振る舞われた。最後には御中﨟たちが同僚から胴上げされ、黄色い声をあげた。また、煤払いをチェックしにきた御広敷の男性役人が担がれ、大あわてすることもあったという。

 

 ドラマなどで有名な「御鈴廊下(おすずろうか)」と「御錠口(おじょうぐち)」は、将軍が入ってくる場所だ。

 

 表の老中、中奥の側衆がやむなく大奥のことを知りたいと思えば、女中(御錠口)に杉戸を開けてもらい、中奥の奥の番と談合した。

 

 もう一つ、女中の出入口には「七つ口」という通用口があった。長局の勝手口で、長局と御広敷との境にあった。毎日、夕七つ(午後四時ごろ)に閉めたので、この名称で知られる。部屋方(女中の使用人)の宿下がりなど、外出するときの出入口。さらに女中の親や親類も通行した。大奥出入の商人がやってきて食料品や日常必需品を持ってくるし、それを部屋方が主人の使いで買いにくる賑やかな場所だった。

 

 いつもは厳重に施錠するが、節分の日は特別である。女中たちは年豆に小額の金を添えたおひねりを用意した。長局側と広敷向側とのあいだでは人流はなかったものの、女中たちは境に集まり、用意したおひねりを男性役人に投げた。そのあいだに歓声がひびく。男子禁止の大奥で働く女中たちがストレスを発散する場所や機会は、いろいろあった。

 

監修・文/安藤優一郎

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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