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大奥の女性たちは「一日」をどのように過ごしていたのか?

「将軍」と「大奥」の生活⑲

■一日の始まりは大奥の雑用係・御末による朝風呂の準備から

ー御台所の24時ー

午前7時  起床、入浴

午前8時  将軍と別に朝食

午前9時  将軍が大奥に入る朝の惣触に合わせて1回目のお召し替え

正午   将軍が中奥に戻り、昼食。2回目のお召し替え

午後13時 昼食後、稽古事に励む

午後14時 将軍八つの御成。3回目のお召し替え

午後15時 寛げる私的な時間。4回目のお召し替え

午後16時 おやつ

午後18時 夕食

午後20時 夜の惣触で将軍と御座の間で対面。5回目のお召し替え

午後21時 将軍と御寝の際は蔦の間で寛ぎ就寝へ

午後22時 御台(独り寝)は御切形之間で就寝。将軍とともにする場合は御小座敷で   

 御台所(みだいどころ)を頂点に、大奥では大勢の奥女中たちが住み込みの形で各々の職務にあたったが、その一日とはどんなものだったのか。御台所、その世話を任務とする御中臈(ごちゅうろう)、雑用係の御末(おすえ)の一日を追ってみる。

 

 午前7時頃、御台所は御中臈の声かけによって目覚める。うがいをした後、まずは入浴するが、その準備が大変であった。現在のように沸かした風呂に入るのではなく、別の所で沸かしたお湯を御台所の御殿にある湯殿(ゆどの)まで運んだからである。御湯を沸かしたり、湯殿まで御湯を運んだりするのは御末の役目だ。御末は炊事も担当した。

 

 御台所は湯殿から出ると、御中臈の助けを借りて髪を結(ゆ)う。午前8時頃に朝食となるが、給仕も御中臈の役目だった。

 

 午前9時頃、中奥(なかおく)から将軍がやって来る。御台所と共に奥女中たちの挨拶を受ける「惣触(そうぶれ)」という儀式に臨むためだが、将軍を迎えるとなると、御台所は着替えなければならない。この着替えを「お召し替え」と言うが、その手伝いも御中臈の仕事である。

 

 御鈴廊下(おすずろうか)を通って大奥にやって来た将軍を迎えて朝の挨拶を交わすと、歴代将軍の位牌(いはい)が収められている仏間へ一緒に向かう。仏間で礼拝した後、将軍と共に「御座之間(ござのま)」に向かった。将軍に拝謁資格のある奥女中たちの挨拶を受けるが、惣触の儀式が終わるのは午前10時頃だった。

 

 その後、将軍は大奥から中奥に戻っていく。御台所の自由時間となるが、その話し相手を務めることも御中臈の役目だった。

 

 午後に入って、中奥にいた将軍が大奥に再び御成(おなり)となると、御台所は将軍を出迎えるということで、服を着替えなければならない。将軍を迎えるたびに、お召し替えをしなければならなかったのである。

 

 将軍を迎えて、しばらくの間歓談すると、その後、将軍は再び中奥に戻る。夜まで自由時間となるが、将軍が大奥に泊まり、お相手をつとめる時は寝所の御小座敷(こざしき)に向かうことになる。

 

■御末は御台所や御中臈たちの眼に触れることなく働く

 

 将軍が大奥で泊まらない時、泊まっても別の御中臈が将軍のお相手をつとめる時は、御中臈たちとカルタ遊びなどをした。そして就寝する。

 

 奥女中のなかでも御中臈は御台所の側近くで過ごしたが、最下級の御末は御台所や御中臈たちの眼に触れることなく、炊事・洗濯・雑用などを通して、大奥そして御台所の生活を支えた。縁の下の力持ちの役割りを果たしていた。

御目見得ごとに「御召かへ」 御台所の1日5回にも及ぶ御召し替えの場所も御納戸、寝室(御切形之部屋)と用途が違っていた。『千代田の大奥』/国立国会図書館蔵

 

監修・文/安藤優一郎

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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