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明治新政府が初めて地価ベースで定めた土地の税率とは?

第1回「歴史人検定」練習問題④


明治新政府はそれまでの石高(収穫量)ベースの年貢から、新たに地価ベースの租税へと地租制度を大きく改正した。租税が金納となったことも大きな変更点であったが、その最初の税率は何パーセントだったのだろうか?


Q.明治新政府は土地制度を改め、課税標準を従来の収穫量から地価に改めた。では、当初に定められた税率として正しいのはどれか?

 

1.2%

 

2.3%

 

3.5%

 

4.8%

 

 江戸時代の租税制度は、基本的には豊臣秀吉が行った太閤検地(たいこうけんち)を踏襲していた。太閤検地というのは、天正10年(1582)以降、豊臣秀吉が全国的に行なった検地、すなわち土地の収穫量の調査を指す。戦国時代には、地域によって計量の基準が異なっていたのだが、太閤検地は、これを統一したのである。

 

 豊臣政権下では、面積については63寸(約190.9cm)を1間、1間四方の土地を1歩、300歩を1反と定められた。同じ1反の土地でも、土地の良し悪しによって収穫量も異なるため、田畑を上・中・下・下々の4つに等級づけし、それぞれの年貢量を決めている。

 

 年貢量を計測するときには、京都を中心に用いられていた京枡(きょうます)を公定枡とし、ほぼこれに統一したうえ、米の量に「石」という単位を用いた。1石は、およそ180Lにあたる。

 

 以来、江戸時代を通じて、土地の生産性は「石」で表された。それは、租税賦課の単位となっただけではなく、武士に対する知行給付の単位にも用いられている。そのため、江戸時代の所領の規模は、面積ではなく、すべて「石」で表された。このように、米の生産高がすべての基準となった体制を、石高制という。

 

 江戸時代は、農民の年貢も、すべて石高で示された。収穫量に応じた年貢を、決められた石高により現物で領主に納めたのである。ちなみに、その年貢率は、四公六民が一般的であったという。これは、その年の収穫高の4割を年貢として幕府や諸藩に納め、6割を農民の手元に残すというものである。

 

 江戸幕府の体制下においては、石高制が維持されていた。しかし、明治維新によって政権を担った新政府は、土地制度の改革に着手し、段階的に政策を打ち出していく。

 

 まず、明治4年(1871)には田畑勝手作(たはたかってさく)の禁を解除した。江戸時代に幕府や諸藩は、米の生産を安定化させるため、田畑に作付する品種に制限を加えてきたが、明治政府は品種の制限を廃止させたのである。

 

 これは、品種の制限が形骸化していたということもあるが、すでに明治政府は米の物納を廃止する方針を固めており、商品作物の栽培を奨励することで、税収の増加を当て込んだのである。

 

 翌明治5年(1872)には、江戸時代の田畑永代売買の禁も解除した。それまで、農民が保有する田畑を売買することは認められていなかったが、新政府は農民に対して土地の私有と売買を認めるとともに、土地の所有権を証明するため、地券も発行したのである。

 

 このような政策を進めてきた新政府は、明治6年(1873)、ついに地租改正条例を制定したのだった。田畑勝手作の禁や田畑永代売買の禁を解除したのも、ひとえに地租改正を断行するための布石だったといってよい。

上は明治14年に出された「地租改正」に関する布達。布達とは、明治初期に出された行政命令。官庁などが広く一般に触れ知らせる目的で発布した(国立国会図書館蔵)。

 地租改正条例の内容は、主に3点に集約される。まず、課税の基準を地価にしたことである。江戸時代には収穫量によって決められた石高を納めることになっていたが、地租改正では、土地に設定された地価を基準に租税が賦課されることとなった。

 

 次に、税率が地価の3%に設定されたことである。これまでは、幕府や諸藩により税率も異なっていたのだが、地租改正により全国一律に定められた。

 

 そして最後に、租税が金納にされたことである。江戸時代の年貢は、基本的には米を物納するものだった。それが地租改正により、すべて現金で納めることとなった。

 

 地租改正の施行にあたり、新政府は土地を調査して収穫高を決めるところから始めた。この収穫高によって、地価を算定したのである。この地価の3%が租税となったわけだが、地域によっては、江戸時代よりも税の負担が増えることもあった。そのため、増租に対する直接的な抵抗はもちろん、地価を決定する過程や地価を算定する方法への不満も高まり、ついには反対一揆による暴動がおきてしまう。各地で勃発した反対一揆による暴動は50件を超えたとみられている。

 

 こうした暴動が社会を不安定化させることに危機を抱いた新政府は、翌年から税率を地価の2.5%に引き下げることにした。このため、農民による減租の要求が通ったということから、これら一連の反対一揆は、「竹槍でドンと突き出す二分五厘」と謳われたのである。

 

5月21日(土)・522日(日)開催「歴史人検定 第1回」練習問題より

 

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小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

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