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朝ドラ『あんぱん』史実では再婚相手と死別した後どうなった? 戦時中の母・登喜子さんのゆくえ

朝ドラ『あんぱん』外伝no.59


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第18週「ふたりしてあるく 今がしあわせ」が放送中。のぶ(演:今田美桜)の元に嵩(演:北村匠海)がやってきたタイミングで、のぶの家に登美子(演:松嶋菜々子)が訪ねてくる。登美子は2人のことを祝福する一方で、嵩には「漫画を描くなんて言ってないで、ちゃんとしたところに就職しなさい」と諭した。さて、史実での母・登喜子さんの半生を辿ってみよう。


■結婚と再婚を繰り返し、息子も戦争で亡くす

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)の実母・登喜子さんは、父・清さんと同郷で大地主の家に生まれ、都会的で華やかな家庭環境で育ったお嬢さまだったという。やなせ氏曰く「柳瀬家よりずっと裕福な家」だったらしい。登喜子さんは高知県立第一高等女学校に在学中に資産家の家に嫁ぐも、間もなく離縁。そして、実家に戻った登喜子さんの2度目の結婚相手となったのが清さんだった。そして、嵩さんと千尋さんという2人の息子にも恵まれた。

 

 清さんの死後、千尋さんは伯父にあたる寛さん夫妻の養子となり、登喜子さんは嵩さんと実母・鐵さんとの3人暮らしを高知市内で始める。お嬢さま育ちながら必死で自活の道を探っていた登喜子さんは、お茶や生け花など様々な習い事をこなした。身に着ければ、人に教えることで生計を立てられるからだ。

 

  その後、嵩さんが小学校2年生の時に、東京在住の官僚と3度目の結婚。嵩さんは寛さん夫妻の元に預けられ、登喜子さんは嵩さんを置いて去っていった。とは言え、親子としての交流は細々と続いていたようである。千尋さんも、学生時代に登喜子さんと2人で写真を撮っていることから、ある程度の交流はあったようだ。

 

 それからしばらくして、登喜子さんは3人目の夫にも先立たれてしまう。ただ、この時は世田谷にあった家を遺してもらっていたこともあり、そこで1人悠々自適な暮らしをしていたようだ。後に、旧制専門学校・東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)に進学した嵩さんが下宿先でトラブルに見舞われた際には、息子を自分の家に呼び寄せて一緒に暮らしたという。母子が共に暮らすのは約10年ぶりということになる。

 

 ちなみに、再婚相手の息子は嵩さんの3歳年下だった。著書『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)で、同じ東京高等工芸学校に進学し、精密機械科を卒業したことに言及されている。このことからみるに、関係は良好だったようだ。

 

 さて、嵩さんは昭和16年(194122歳の時に召集され、5年もの間軍で生活をした。帰郷したのは、昭和21年(1946)3月のことである。では、この間登喜子さんはどこで何をしていたのだろうか? 戦争が激化し、本土空襲が本格的に始まってから、東京も常に空襲の危険に晒されていたはずである。昭和20年(1945)3月には東京大空襲もあった。

 

 じつは、当時の登喜子さんの動向が、高知新聞社の取材によって明らかになっている。戦時中、登喜子さんは東京を離れ、故郷の在所村(現在の高知県香美市)に疎開していたそうだ。生家の近くにある小さな家で一人暮らしをしていたらしい。

 

 女の一人暮らしとなった登喜子さんを支えたのは、かつて身に着けた生け花や茶道だった。疎開してきてからは、近所の女性たちに生け花や茶道を教えていたという。家には、子どもたちも訪ねてきて遊び場になっていた。

 

 登喜子さんは、既に2人の夫との死別を経験していた。そこに追い打ちをかけるように、息子・千尋さんの戦死の報が届く。登喜子さんにとっては、あまりにも別れが多い人生だった。だからこそ、嵩さんが無事に復員してきたとわかった時の喜びは計り知れない。やがて高知新聞社に入社して活躍し始めた息子のことを、誇りに思って周囲に自慢げに話していたそうだ。

イメージ/イラストAC

<参考>

■やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』
■高知新聞PLUS
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/858451
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/852684

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