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朝ドラ『あんぱん』史実では再婚相手と死別して息子と暮らした? 母・登喜子さんの義理の息子とやなせたかし氏の意外な関係

朝ドラ『あんぱん』外伝no.34


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第10週は「生きろ」が放送中だ。製薬会社で働く嵩(演:北村匠海)の元に、赤紙がきたことを知らせる電報が届いた。嵩は母の登美子(演:松嶋菜々子)を呼び出し、なりゆきで同行した恩師・座間晴斗(演:山寺宏一)と共に対面するが、登美子の発言に失望する。今日は登美子が軍人と再婚した、と明かされたが、史実では違った展開を迎えていたようだ。


 

■再婚したはずの母と東京で再会

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)の母・登喜子さんは、父・清さんと同じ高知県香北町在所村の出身。実家の谷内家は地元の大地主で、登喜子さんはその家の次女として誕生した。谷内家は裕福で田舎でも華やかな暮らしをしていたそうだ。

 

 高知県立第一高等女学校に進学した登喜子さんは、美貌と教養を兼ね備えた女性だった。在学中に一度結婚をしているが、短い結婚生活を経て離縁し、実家に戻っている。そのため、嵩さんの父・清さんとは初婚ではなく再婚になった。清さんは文学や音楽を愛し、スポーツも万能、さらに会社でも将来を嘱望される美男美女夫婦の誕生は地元にとっても大きな慶事だったことだろう。

 

 大正8年(1919)2月に嵩さん、その2年後に弟の千尋さんが誕生し、柳瀬一家は東京で幸せに暮らしていた。その幸せに終止符が打たれたのが、大正13年(1924)のことだった。清さんが単身赴任先の厦門(アモイ)で病死してしまったのである。この時嵩さんは4歳、千尋さんは2歳だった。夫を1人で海外に赴任させ、その地で夫が亡くなってしまったことは、登喜子さんにとって生涯忘れられない心の傷となった、と後年やなせたかし氏は自身の著書で言及している。

 

 登喜子さんは30歳で幼い子を抱えた未亡人となった。千尋さんは約束していた通り、子のいなかった清さんの兄・寛さん夫妻の養子となる。嵩さんと実母の鐵さんと3人、高知市内で新生活を始めた登喜子さんは、どうにか自活の道を切り拓こうとお茶や生け花などの習い事に精を出す日々だったという。一方で、嵩さんのことは厳しくしつける“教育ママ”でもあった。

 

 嵩さんが尋常小学校の2年生になった頃、登喜子さんに再び結婚の話が舞い込む。結局登喜子さんはその事実を伏せたまま嵩さんを寛さん夫妻に預け、2人の息子の前から去ることを決めた。お相手は東京の官僚という立派な肩書の男性で、前妻との間に既に子もいたという。

 

 その後、新たな家族と共に上京した登喜子さんだったが、また夫に先立たれることになった。東京・世田谷の邸宅は登喜子さんに遺され、そこで暮らし続けたという。そして驚くことに、高知新聞社『やなせたかし はじまりの物語:最愛の妻 暢さんとの歩み』によると、上京した嵩さんはやがてその家で一緒に暮らすようになったというのだ。母と息子が約10年ぶりに生活を共にするようになったことになる。

 

 さて、登喜子さんの再婚相手の子は前田正武さんという。正武さんは嵩さんの3歳年下で、しかも嵩さんと同じ東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)に進学した。精密機械科を卒業し、五藤光学研究所に勤務(ちなみに創業者も高知県出身だ)。後にプラネタリウムをアメリカに営業するという大役を果たしたと、やなせたかし氏の著書で明かされている。一見複雑な関係だが、お互いの母(義母)を介して知り合った2人の仲は良好だったようだ。

イメージ/イラストAC

<参考>

■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』

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