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小谷城攻め1570〜73年<その4>~浅井の後詰援軍から落とす戦略で絶望感を味わわせる

戦国武将の城攻め【解体新書】#012

京極氏の守る京極丸から攻略、浅井本軍を孤立化

久政のいる京極丸から各個撃破され落ちた小谷城 CG/成瀬京司

 朝倉方の前衛部隊を小谷城周辺から駆逐した信長は、続いて義景が本陣を構える木之本に夜襲をかけ、朝倉勢主力部隊を敗走させる。これにより浅井勢を小谷城に残したまま、朝倉方は敗走に近い撤退戦を行うことになる。

 

 近江と越前の国境付近にある刀根山で防戦態勢を布いた朝倉勢であったが、織田軍は難なくこれも突破し、敦賀平野を経て越前平野に乱入した。

 

 一方、本拠の一乗谷に逃げ帰った義景だったが、2万の軍勢は四散してしまい、一乗谷を守ることも覚束ない。そこで一乗谷を放棄し、越前国東部の大野に逃げ込んだ。

 

 ところが味方の裏切りに遭い、8月20日、義景は自刃する。木之本を攻撃されてから、わずか7日後のことだった。

 

 これにより小谷城は孤立無援となり、27日、落城する。しかも落城のきっかけとなったのは、京極氏が守る京極丸からであった。

 

 まず信長は、攻略対象としている城ではなく、後詰に出てきた敵の援軍に対して攻撃を仕掛けた。つまり敵の脆弱な部分を突いたのである。

 

 これによって城を孤立させ、さらに京極氏の守る京極丸から攻略し、浅井本軍の守る本城域を孤立させた。

 

 後詰勢を追い落とされ、小谷山の四分の三までを制された浅井勢の意気消沈ぶりは、相当のものだったと思われる。

 

 ここまで詰めておいてから信長は降伏を勧告し、降伏開城という形で小谷城を手に入れた。

 

「意表をつく」「脆弱な部分を攻める」「心理的に追い詰める」という三段階の作戦により、信長は難攻不落の小谷城を落としたのだ。

(次回に続く)

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伊東 潤(いとう じゅん)
伊東 潤いとう じゅん

1960年生まれ。2012年『城を嚙ませた男』13年『国を蹴った男』で直木賞候補。『黒南風の海』で「本屋が選ぶ時代小説大賞2011」を受賞。著作に『叛鬼』『義烈千秋』『武田家滅亡』『戦国鬼譚 惨』など。利休の内面と死の真実挑んだ最新刊「茶聖」(幻冬舎)が2020年2月20日発売!

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