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名古屋の「派手な嫁入り」のルーツとは? 名古屋藩初代藩主に輿入れした「春姫」の驚くべき逸話

日本史あやしい話


名古屋人といえば、派手好みでちょっぴり見栄っ張り。その証とも言えるのが、婚礼に際して新婦が持参する花嫁道具の豪華さである。家具などを山ほど積んだトラックを連ね、近所の人々に見せびらかした上で、屋根の上からお菓子をばらまくというのが当たり前だったとか。では、この風潮、いったいどこに端を発しているのだろうか? 歴史を振り返ってみれば、名古屋藩初代藩主・徳川義直に嫁いだ春姫へとたどり着く。それがどのようなものであったのか、少々探ってみることにしたい。


 

■花嫁道具を山と積んだトラック

 

「娘3人持てば身代が潰れる」

 こんな風に自嘲気味に語るのが、尾張名古屋の人々である。娘が3人もいて皆を嫁に出してしまえば家が破産してしまうというのだから、真面目に考えれば、笑うに笑えないお話である。花嫁道具に金がかかりすぎて、すっからかんになってしまうということらしい。ならば、身の丈にあった支度をすればいいではないかとよそ者は考えてしまいそうになるが、当の名古屋人には「できへん(できない)」所業らしい。身上を潰してまでも見栄を張らなければ生きていけない、哀しい習性というべきだろうか(名古屋出身の方々、失礼!)。

 

 その見方が正しいかどうかはともあれ、名古屋周辺で花嫁道具に金をかけるという風潮があることだけは、どうやら確かなようである。さすがに昨今は以前ほどお目にかかれなくなってしまったようであるが、婚姻に際して、花嫁道具を山と積んで紅白幕を掲げたトラックが列を成して走りゆく姿をよく目にされたとか。

 

 お金を出して用意するのはもちろん、新婦の親。そのため、家具などを山と積んだトラックが向かうのも、最初は新婦の実家である。近所の人たちを集めてどれほど娘を大事に思って用意したのかを自慢げに披露するためである。その後、新婦や親、親戚一同が実家の屋根の上に登って、お菓子をばらまくというのも、昔からのしきたりであった。一つ一つは少額であるとはいえ数が多いから、結構な出費になること必至。

 

 ただし、ここであまり見えを張りすぎると、後々大変なことになるから要注意である。孫が生まれた後、初節句等々、何やかんやとお金がかかる。最初から派手に振る舞うと、後々まで、この時の振る舞いに見合うだけのお金をかけなければ、体裁が保てなくなってしまうからである。

 

 ちなみに、この辺りの結納金の平均額は、全国平均の100万円を上回る115万円だとか。これは新郎の親から新婦の親へと贈られるものであるが、新婦側が用意することになっている花嫁道具は、その3倍以上かけるのが当たり前というから大変。500万円〜1000万円もかけてしまうことさえ、決して珍しいことではないのだ。

 

 ただし、これらの所業全てを見栄っ張りのせいにするのは早計である。親から子へ多額の現金を一度に渡せば贈与税がかかるが、祝物などの金品には贈与税がかからない。そこから編み出された、究極の節税対策の一環と考えられなくもないからである。

 

■名古屋藩7代藩主・徳川宗春の派手好きな気質

 

 昨今の婚姻事情について、少々話が長くなってしまったようである。この辺りで、いよいよ本題に移ることにしたい。なぜ名古屋人がこれほどまで華美な花嫁道具にこだわるのか? その素朴な疑問を、歴史を振り返りながら解き明かしたいと思うのだ。

 

 まずは、結納の歴史から振り返ってみよう。これが執り行われたのは、宮中においてであった。仁徳天皇の皇太子(後の履中天皇)が黒姫を迎え入れるに際して、納采と呼ばれる贈り物を送ったのが始まりだったとか。この儀式が武家にまで広がったのが室町時代で、庶民にまで広がるのは、江戸時代末期から明治時初期だったというから、我々にとって、それほど歴史の古いものでなかったようである。

 

 では、なぜ名古屋人が派手好きなのかを紐解いてみることにしたい。歴史上の人物を振り返って、名古屋ゆかりの派手好みな人物といえば、真っ先に思い浮かぶのが、名古屋藩(尾張藩)7代藩主・徳川宗春である。質素倹約を旨とする享保の改革を推進しようとする8代将軍・徳川吉宗の意に反して、規制緩和政策を強行したとして知られる御仁である。幕府が規制する芝居や祭りなども積極的に奨励したおかげで、歌舞伎役者や芸人、商人、遊女等々、多くの人々が集う賑やかな町になったのだとか。本人が身に纏う衣装も派手で、贈答や饗応が大好きだったというから、世の風潮に逆らって派手に遊びまわる姿まで想像出来そうだ。

 

 そのせいでというべきか、停滞していた名古屋の景気も活気を取り戻したかに見えたようだが、それは一時的なもの。結局、財政赤字が膨らんで庶民の暮らしを圧迫させてしまったというから、彼の華美、派手好みは、あまり褒められたものではなさそうだ。それでも、その心意気だけは名古屋の人々を魅了し続けたようで、その後も連綿と受け継がれていった。それが、今日の名古屋人の気質にまで影響を及ぼしてしまった…と思えてならないのだ。

 

■春姫の婚礼行列がルーツ

 

 もう一つの疑問へと話を移そう。名古屋人がなぜ婚礼道具に金をかけるのか?の謎である。そのルーツを紐解けば、名古屋藩初代藩主・徳川義直に嫁いだ春姫(高原院)へたどり着く。義直といえば、家康の九男で尾張家の祖。嫁いだ春姫とは、紀州藩初代藩主・浅野幸長の次女というから、蒼々たる面々同士の婚礼であった。その輿入れに際して、新婦の実家である浅野家から贈られた花嫁道具、その数が信じられないほど多かったことに起因するのだ。花嫁道具を詰め込んだ長持の数、何と300棹もあったというから驚く。どんな品々が入っていたのかはわからないが、その数の多さから見ても、相当お金がかかっていたことは間違いないだろう。婚礼行列そのものも、侍女90人余りと奉公人100人が長持と共に練り歩くという極めて豪勢なものであった。さらに、浅野家が用意した持参金に至っては、白銀三千両にも上ったというから、いったいこの婚礼にどれほどお金をつぎ込んだのか、想像だにつかないのだ。

 

 ただし、この婚礼がきっかけとなって、尾張藩は3万石も加増され、後には62万石まで増えたというから、決して無駄な出費ではなかったことも付け加えておこう。何はともあれ、春姫の嫁入りが名古屋の豪華な婚礼のルーツとなったことは間違いないのだ。この春姫の婚礼行列は、毎年催される「春姫まつり」で再現されているようだから、機会があれば是非、目にしておきたいと思うのだ。

イメージ/イラストAC

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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