娘の婿に手をつけてしまった魔性の女・藤原薬子の末路 妖艶さで天皇を虜にして悪行三昧
日本史あやしい話
妃となるべき娘を初めて目にした安殿親王(平城天皇)が一目惚れしたのは、娘ではなく、その背後に付き添いとして控えていた娘の母の方であった。その名は藤原薬子。親王を色香で虜にした挙句、ついには本性を発揮して、兄・仲成と組んで専横の限りを尽くしたのである。親子ほども年の離れた二人が、いったいどのような経緯を経て世間を騒がせていったのか、詳細に見ていくことにしたい。
■妖艶さをもって娘婿を虜に!
娘の夫、つまり義理の息子と相思相愛になってしまった女がいたとしたら、貴方はどう思われるだろうか?しかも、そのお相手の息子というのが、時の権力者ともいうべき天皇で、色香に惑わされた挙句、政を放り出してしまったとしたらどうか?もはやその女は、傾国の美女という悪女のレッテルを貼られて然るべきだと思えそうだ。
時は桓武天皇(737〜806年)の御代のことである。当時権勢を誇った藤原一門、長岡京造営使でもあった式家・藤原種継の娘・藤原薬子がその人であった。娘とは久岐媛、婿とは桓武天皇の息子・安殿親王である。
事の発端は、親王の妃として久岐媛を入内させようとしたことにあった。久岐媛はまだ若く、宮中のしきたりにも不慣れであった。そこで母である薬子が、不安がる娘を案じて、付き添いとして参内したことが大きな災の元であった。自らの妃となるべき久岐媛を前にした親王、あろうことか、娘ではなく、その母である薬子の方に心惹かれてしまったからである。ひと目で虜にされてしまったというほどだから、薬子の妖艶さもひときわだったのだろう。
一目惚れしたというだけなら問題はなかったが、親王は薬子に首ったけとなり、とうとう娘を差し置いて結ばれてしまったのである。もちろん、二人の関係を知った桓武天皇が激怒したことは言うまでもない。すぐさま薬子を宮中から追い出してしまったのである。
ともあれ、彼女を追い出したことで、ことなきを得たかと思いきや、実はそうとならなかった。桓武天皇が崩御するや、待ってましたと言わんばかりに、即位したばかりの平城天皇(安殿親王)が、薬子を宮中に呼び戻したからであった。しかも、その役職というのが、高級女官ともいうべき尚侍であったから、大きな問題をはらむことに。尚侍といえば、天皇の命を臣下に伝える役で、事実上、権力は絶大。この地位を利用して、薬子が躍進。実の兄である藤原仲成を引き立て、兄妹手を携え、専横の限りを尽くしたのである。平城天皇と対立する伊予親王をそそのかして謀反の罪に陥れたのも、この兄と妹だったと見られている。
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