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弟の妻が欲しくて4人の娘と交換!? 額田王をめぐる天智天皇と弟・大海人皇子の三角関係は史実か?

日本史あやしい話


「娘4人やるからお前の妻をよこせ!」

実の兄からこんな風に呼びかけられたとしたら、貴方ならどう対処するだろうか?絶世の美女・額田王をめぐって天智天皇と弟・大海人皇子が繰り広げた三角関係。それが史実だったのかどうかはともあれ、兄弟で1人の女性を奪い合うことさえ、さも当たり前と言わんばかりの男女関係の奔放さに驚かされてしまうのだ。


 

■大海人皇子が元妻・額田王の気を引いた?

 

 「茜さす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖ふる」

 天智天皇の妃となった額田王、その女性が、天皇の弟・大海人皇子(天武天皇)を前にして詠んだのがこの歌である。「そんなに激しく袖を振っていたら、野守り(警備の人)に私たちの秘めた想いがバレてしまうじゃないの…」という。要するに、二人が未だ心惹かれあっていることを天皇に知られてしまうじゃないかと怖れ、皇子の軽率な行いをたしなめたのだ。

 

 舞台は、近江国蒲生野。現在の滋賀県東近江市にある万葉の森船岡山辺りでの出来事であった。『日本書紀』天智天皇七年五月五日の条に、天智天皇が蒲生野で狩(薬狩)をしたことが記されているから、おそらくはその時のことだったのだろう。大皇弟・大海人皇子の他、諸王、内臣、群臣ことごとくお供をしたというから、かなり大掛かりな催しであった。

 

 その狩のさなか、紫草が生い茂る野原で額田王が薬草を摘んでいた。そこに、かつての夫・大海人皇子が、人目もはばからず、気を引こうと袖を大きく振ったという。もちろん、額田王の心はビクビク!「野守り(警備の人)に気付かれたら、きっと夫に告げ口するわよ。どうするのよ?」と慌てる様子が目に浮かびそうだ。

 

 ここで少々、時計の針を戻してみよう。もともと額田王(額田姫王)が嫁いでいたのは、大海人皇子の方であった。2人の間に、天智天皇の息子・大友皇子の妻となる十市皇子が生まれたことも『日本書紀』に記されている。大友皇子といえば、壬申の乱(672年)において、叔父にあたる大海人皇子と敵味方に別れて戦いを繰り広げたことが思い出される。近しい間柄ゆえに、かえってドロドロした骨肉の争いとなったようで、少々複雑な想いに駆られてしまう。

 

 ともあれ、冒頭の歌へ話を戻そう。この情景が本当に紫野の薬狩時に歌われたものだとしたら、額田王を挟んで繰り広げられた天智天皇と大海人皇子との三角関係は、事実だとみなすのが自然だろう。続きを見てみよう。この歌に対する返歌である。大海人皇子が詠んだとされるのが、「紫草の 匂える妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも」であった。「憎く思うどころか、恋焦がれるばかりなのです〜」と、心の内を明かすのだ。

 

■本当に4人の娘と弟の妻を交換したのか?

 

 ちなみに、天智天皇といえば、時の政権を牛耳る実力者であった。弟といえども、その言に逆らうことは憚られたのだろう。兄から妻をよこせと言われても、無下にできなかった。その見返りとしてか、天皇の4人の娘が弟の妃となったことも『日本書紀』に記録されている。言葉は悪いが、「娘4人やるからお前の妻をよこせ!」ということなのだろうか。

 

 ただし、冒頭の歌に見られるような三角関係が史実であったかどうか、実のところ明確ではない。冒頭の歌は万葉集に記載されたもので、歌の内容から推測するしか手立てがないというのが実情である。艶な歌ゆえ、つい、三角関係というあやしげなる情景を思い描いてしまうのだ。

 

 一説によれば、この三角関係、事実とは異なるという。単なる宴席における戯れ歌であったと見なす向きも少なくないのだ。もちろん、その説さえ、本当かどうか?あまりにも危険な内容を含んでいるがゆえに、とても宴席にふさわしいものとは思い難いからである。となれば、真相は闇の中という他ない。

 

 この辺りの真偽のほどは一旦横に置くとして、気になるのが当時の男女関係の緩さである。実の弟の妻を横取りするということは、同母の兄弟が、共に一人の女性と結ばれるということである。現代人の感覚としては、なかなか受け入れられ難いものであるに違いない。それにもかかわらず、さも当たり前かのようにそんな提案ができるという当時の風潮に、驚かざるを得ないのだ。

 

 それだけではない。実はこの天智天皇、同母妹である間人皇女との不倫関係まで指摘する向きもある。それに対する社会的制裁は何も記録されていないから、事実の可能性も大きい。だとすれば、当時の男女関係は、かなり奔放だったといえそうだ。後に儒教が本格的に浸透して、男女関係における縛りが厳しくなってしまったが、この頃までは、かなり奔放であった。羨ましいというか何と言うか…。

 

■長閑な薬狩りの情景に秘められた真相とは?

 

 ともあれ、舞台となった蒲生野にも目を向けておきたい。目指すはもちろん、滋賀県東近江市にある万葉の森船岡山公園だ。琵琶湖の南東に広がる長閑な平野・蒲生野の一角である。ここで、女は薬草を摘み、男は鹿を捕らえて薬となる角を手に入れるという宮中あげての行事が行われていたようだ。

 その情景を描いた壁画が、園内に展示されているので見ておこう。幅12m、高さ3mという巨大なレリーフで、馬に乗って狩をする男二人と、薬草を摘む女が描かれている。男とは、いうまでもなく天智天皇と大海人皇子、二人の女の一人が額田王である。そこに描かれているのは実に牧歌的な光景であるが、その実態はどうか?政治的にも私生活においても、実のところ、かなり緊張感を伴ったものであったことは想像に難くない。そんな思惑をもってあらためて見直してみれば、かえって痛々しく見えてしまうから不思議である。

万葉の森船岡山内に巨大なレリーフが置かれている。天智天皇と大海人皇子が馬に乗って狩をする傍で、額田王らが薬草を摘んでいる/撮影:藤井勝彦

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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