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「倭国大乱」「狗奴国」の真相解明で、邪馬台国の謎が解ける! 古代史最大の謎には「出雲」が関わっていた!?

日本史あやしい話


「邪馬台国は、どこにあったのか?」それは、日本の歴史史上、最大の謎と言っても過言ではない。その謎解明に大きな役割を果たしてくれそうなのが、「倭国大乱」と「狗奴国」の真相究明である。この二つの命題について、以下のような大胆な推理を試みてみた。いったい、どんなことが起きていたのだろうか?


 

■邪馬台国の謎解明の鍵を握る「狗奴国」の存在

 

 日本古代史における最大の謎とは、いうまでもなく、「邪馬台国はどこにあったのか?」である。考古学上の見地から、近年は畿内大和に傾きつつあるとはいえ、未だ決定打に欠けるというのが現状というべきだろう。

 

 実はそれともう一つ忘れてならないのが、邪馬台国とヤマト王権の関係だ。もしも邪馬台国が畿内大和にあったとすれば、ヤマト王権とはその後継勢力であったとみなすことができそうだが、九州にあったとすれば、話がややこしい。九州の邪馬台国が畿内大和に君臨したヤマト王権とどのように関わってきたのか、これがなかなか解明できないからである。

 

 ただし、まんざら手がかりがないわけではない。その謎解明に大きな役割を果たしてくれそうなのが、邪馬台国と敵対関係にあったとされる「狗奴国」の存在と「倭国大乱」だと思えてならない。まずは、狗奴国がどのような国だったのかから見ていくいことにしよう。

 

 その名が記されたのは、『漢書』東夷伝である。そこには、「女王国より東、海を渡ること千余里、狗奴国に至る」とある。そもそも、「女王国」がどこかが問題であるが、仮にこれを北九州にあったとして、話を進めることにしたい。ただし、それは邪馬台国というよりも、倭の連合国とみなしてのお話である。主要国の大半は北九州にあった。その辺りで港湾都市としての機能を果たしていたとすれば、奴国(福岡市周辺か)が一番可能性が高そうだ。ここを起点とすれば、千余里東といえば(1里=7590mの短里とすれば7590㎞)、およそ本州西端の下関市あたりにたどり着く。それでも、下関市が狗奴国だったとは思い難いから、ここで一旦、足踏みしてしまうのである。

 

 それでも気を取り直して、狗奴国の比定地として有力視される出雲を中心として考えてみた。出雲といえば、壮大な出雲神話のことが思い浮かぶ。新羅から渡来してきた素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、八岐大蛇に投影された越の豪族たちを追い出し、その娘婿あるいは数代後裔の大国主神(オオクニヌシノカミ)が国造りに励んだとされるところである。少彦名命(スクナヒコナノミコト)と力を合わせ、ついに国造りを成し遂げ、広大な出雲王国を築いたとか。勢力範囲は、九州を除く西日本一帯だったと考えても不思議ではない。

 

 問題はここからである。もしもその王国が狗奴国だったとすればどうなるのか……である。その勢力範囲は広大で、中国地方西端にまで及んでいたとも考えられるわけだから、下関でさえ狗奴国の勢力範囲内である。ならば、海を渡ること千余里で狗奴国、つまり、その一部である下関に至ると言い切ったとしても、決して間違いではないのだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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