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長い下積みを経て活躍した大江匡衡

紫式部と藤原道長をめぐる人々㊵


10月20日(日)放送の『光る君へ』第40回「君を置きて」では、一条天皇(塩野瑛久)の譲位をめぐり、貴族社会が揺れ動く様子が描かれた。藤式部(とうしきぶ/のちの紫式部/吉高由里子)は変わらず中宮・藤原彰子(ふじわらのしょうし/あきこ/見上愛)を支える一方、藤原道長(みちなが/柄本佑)は、天皇の外戚となるべく工作に動いていた。


■25年におよぶ一条天皇の治世が幕を閉じる

『尾張名所図会』に描かれた大江匡衡(国立国会図書館蔵)。尾張国に赴任した匡衡は「尾張学校院」を再興し、現地における学問の普及に尽力。在地の民衆に大きな影響を与えた人物として知られている。

 一条天皇の体調は日に日に悪化の一途をたどっていた。事態を重く見た左大臣・藤原道長は、大江匡衡(おおえのまさひら/谷口賢志)に占いを依頼。すると、〝崩御〟の卦が出ていると告げられる。一条天皇は密かにその様子をうかがっていた。

 

 そこで道長は譲位について公卿に諮るが、藤原実資(さねすけ/秋山竜次)に猛反対される。しかし、その他の公卿たちからは賛同を得た。

 

 その後、道長は側近である藤原斉信(ただのぶ/金田哲)藤原公任(きんとう/町田啓太)藤原行成(ゆきなり/渡辺大知)源俊賢(みなもとのとしかた/本田大輔)を呼び出し、次の東宮は第一皇子の敦康親王(あつやすしんのう/片岡千之助)ではなく、第二皇子で道長の孫に当たる敦成親王(あつひらしんのう/濱田碧生)とする旨を伝えた。一同は道長の意向を支えることを誓うが、行成のみは戸惑いを隠せない。

 

 死期を悟った一条天皇は、最後の望みとして次の東宮を敦康親王とすることを道長に説得してほしいと行成に懇願する。しかし、道長の意を汲んだ行成は、清和天皇の故事を引きながら、道長の孫である敦成親王が次の東宮となるのが天の定めと説得。死の間際の願いもかなわないと観念した一条天皇は、うなだれたまま了承する。その目線の先には、早々と道長への報告に急ぐ行成の背中があった。

 

 敦康親王の養母でもあった中宮・藤原彰子は、この決定に激怒。父・道長に詰め寄るが、覆すことはかなわなかった。

 

 こうして一条天皇は譲位。居貞親王(いやさだ/おきさだしんのう/木村達成)が三条天皇として即位し、敦成親王が東宮となった。それからまもなく、無念を抱えたまま一条天皇は崩御したのだった。

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小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。近著に『「最弱」徳川家臣団の天下取り』(エムディエヌコーポレーション/矢部健太郎監修/2023)、執筆協力『歴史人物名鑑 徳川家康と最強の家臣団』(東京ニュース通信社/2022)などがある。

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