ビールをはじめて飲んだ日本人は誰? その感想は?【悪しき物にて何の味わいもない】
「初めて」の日本史
ビールとは麦でつくったお酒です。テレビCMで見たことのある人も多いのではないででしょうか?(子どもはビールを飲んではいけません)。今回は、「ビールを一番に飲んだ日本人は誰か」を探ってみましょう。
よく候補に挙げられるのは、つぎの4人です。
<ビールを初めて飲んだ日本人の候補>
◆玉虫左太夫(たまむし・さだゆう)……江戸時代の武士。幕府の使節団としてアメリカに行った。
◆川本幸民(かわもと・こうみん)……江戸〜明治時代の医者。はじめてビールをつくった人と言われる。
◆徳川吉宗(とくがわ・よしむね)……江戸幕府の8代目将軍。テレビドラマ「暴れん坊将軍」のモデル。
◆杉田玄白(すぎた・げんぱく)……江戸時代の学者。医学の本「解体新書」を翻訳した。
■ビールは紀元前8000年の昔から大人に愛される飲み物

ビール。(未成年者の飲酒は、「未成年者飲酒禁止法」により禁止されています)
玉虫左太夫は幕末の1860年、使節団の記録係としてアメリカに行きました。帰路は大西洋からアフリカの南を巡り、インド洋を横断するルートを選んだのですが、途中で飲料水がなくなってしまいます。
このとき艦長がビールの樽(たる)を開け、全員にビールをふるまい、左太夫もこの未知の飲み物を初めて口にすることとなったのです。
その感想は、「苦味なれども口を湿すに足る(苦いけれど、喉をうるおすには十分)」。筆まめな彼らしく、しっかり日記に書き留めています。
けれども、初めてビールを飲んだ日本人は左太夫ではありません。それより少し前の1853年、医者の川本幸民がオランダ語の本を見て、ビールづくりに成功しています。ここで、味見をしていないはずはないのです。
さらに、長崎の出島にはオランダ商館がありましたから、ビールの存在はもっと前に知られていたはず。記録によれば、日本に初めてビールがもたらされたのは1724年のこと。8代将軍の徳川吉宗に献上(けんじょう)されたことがわかっています。

徳川吉宗が将軍に任命される様子(東京都立中央図書館蔵)
ただし、吉宗がビールを飲んだとする記録はありません。その代わりというのは何ですが、このときもたらされたビールは民間にも流れたらしく、同じ年、学者の杉田玄白がビールを飲み、感想を書き残しています。
玄白の感想は、「ことのほか悪しき物にて何の味わいもない」という酷評(こくひょう)。「喉の渇きはうるおしてくれる」と書きそえていますが、あまりフォローにはなっていません。
最初にビールを飲んだ日本人は杉田玄白で決まり……かと言えば、それも違います。名前はわかりませんが、オランダ語の通訳をしていた日本人が、玄白よりも前に試飲(しいん)した記録が残されています。

杉田玄白が記した日本最初の西洋医学書の翻訳書『解体新書』。(国立国会図書館蔵)
しかし、外国船の来航は戦国時代にまでさかのぼるのですから、もっと前にビールが持ち込まれていてもおかしくはありません。スペイン船やポルトガル船がワイン樽を積んでいたように、ヨーロッパでも北寄りの国の船はビール樽を積んでいたはずなのです。
案の定、1613年、長崎県の平戸にやってきたイギリス船の積み荷リストの中に「ビール」が明記されています。ビールに関して、日本における最古の記録ですが、誰かがビールを飲んだという記録はないようです。日本に来航するより前に、船上の人が飲み干し、樽が空になっていたのかもしれません。
結局のところ、ビールを最初に飲んだ日本人は1724年のオランダ通訳で間違いなさそうです。
【結論】ビールを初めて飲んだ日本人は、「1724年にビールが日本にやってきたとき、オランダ語の通訳をしていた人」。