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日本人で初めて「ワイン」を飲んだのは織田信長⁉─愛される飲み物の最初─

「初めて」の日本史


ワインはぶどう酒とも呼ばれ、ぶどうから作られたお酒です。紀元前につくられはじめたと言われ、今も世界中で愛されるワイン。いつ日本に来たのでしょうか? そして、日本人ではじめて飲んだのは誰だったのでしょうか?


 

 ヨーロッパの人々と比べて日本人がお酒に弱いことは、科学的にも証明されています。それにも関わらず、日本人は海外からさまざまなお酒を受け入れてきました。ビール、ウイスキー、そしてワインです。

 

 今回は、ワインについて取り上げましょう。はじめてワインを飲んだ日本人は、誰だったのでしょうか?

 

いまや日本人に愛される飲み物となったワイン。

 

<ワインを初めて飲んだ人の候補>

織田信長(おだ・のぶなが)……尾張(おわり/愛知県)出身の戦国武将。室町幕府を滅亡させて天下人となるが、「本能寺の変」で明智光秀に倒された。

島津貴久(しまづ・たかひさ)……薩摩(さつま/鹿児島県)の戦国武将。フランシスコ・ザビエルに出会い、日本ではじめてキリスト教の布教を許可した。

倭寇(わこう)……朝鮮半島や中国の沿岸、東アジアで活躍していた日本人の海賊。貿易も行っていた。

 

■ヨーロッパ人と日本人がはじめて出会ったのはいつ?

 

 古くからワイン作りが盛んだったのは、地中海の周辺。ヨーロッパのうち、南寄りの地域です。

 

 まず、ヨーロッパ人と日本人がはじめて出会ったのがいつかを考えましょう。「黒船」と呼ばれた欧米の船が続々と日本にやってきた幕末(江戸時代末期)を思い浮かべるかもしれませんが、実はヨーロッパ人と日本人の出会いは、幕末よりも約400年前、戦国時代にさかのぼります。

 

 当時、日本にやってきたのはポルトガルの商船と、それに同乗したイエズス会の宣教師でした。イエズス会とは、キリスト教のカトリックという宗派のなかでも、海外での布教に力を入れていた組織です。

 

 イエズス会は布教の手段として、進んだ科学力を誇示することもあれば、食べ物や酒を贈ることもありました。そして彼らにとって、お酒と言えばワインだったのです。

 

■最初にワインを飲んだのは信長?

 

織田信長(東京都立中央図書館蔵)

 

 最初にワインを飲んだ日本人として、織田信長の名が挙げられることがよくあります。けれども、信長はお酒が飲めませんでした。1569年に宣教師のルイス・フロイスと会った信長は、献上されたお菓子・コンフェイトス(こんぺいとうの元になったもの)を大いに気に入ったと伝えられますが、ワインを飲んだとの記録はありません。

 

 献上品の中に含まれてはいて、信長が家臣に与えた可能性もありますが、残念ながら、それを裏付ける証拠は見つかっていません。

 

 仮に信長の家臣がワインを飲んでいたとしても、その人物が一番手なわけではありません。フロイスより前に日本に来た宣教師もワインを手土産にしていたからです。

 

■はじめて日本に来た宣教師・ザビエルは、誰にワインをあげた?

 

 最初に日本の土を踏んだ宣教師は、1549年に来日したフランシスコ・ザビエルです。上陸したのは鹿児島。ですから最初に出会った権力者は、薩摩・大隅・日向の三か国を支配する島津貴久でした。

 

 ザビエルは数々の贈り物をしましたが、その中には美しいガラス瓶に入った赤ワインも含まれていました。通訳を務めたジョアン・ツズ・ロドリゲスの『日本教会史』には、「貴久に味わってもらった」と明記されています。

 

 ワインを最初に飲んだ日本人は島津貴久と断定してよいでしょう。……名前のわかる人物に限れば。

 

 なぜこんな「ただし書き」をするのか。その理由は二つあります。

 

 一つは、毒見薬の存在です。異国人がもたらした飲み物、それもはじめて目にする赤い色の酒を、いきなり殿様が口にすることを、周囲の者たちが許したかどうか疑問なのです。側近の誰かが一口飲み、安全の確認ができてから、殿様にも飲んでもらう。それが自然な流れではないでしょうか。

 

 もう一つの理由は、このとき海外で活動していた日本人の存在です。中国や朝鮮半島の沿岸、東アジアで活動していた日本人の海賊=「倭寇(わこう)」の存在は、歴史の授業でも習うのではないでしょうか?

 

■日本人の海賊・倭寇はワインを飲んだのか?

 

倭寇の船(『倭寇記』より/国立国会図書館蔵)

 

 倭寇は海賊行為だけではなく、貿易もしていました。「私貿易」といわれる、室町幕府の許可を得ていない貿易です。倭寇も、現在のマカオや東南アジアの港ではポルトガル人と接触していたはずで、ワインを飲む機会があった可能性もあります。

 

 ワインは特別な贈答品として位置付けられていました。ですから瓶や樽ごと振る舞うことはなかったでしょうが、日本人の舌に受け入れられるかどうかを試すため、倭寇たちに味見をさせたことは考えられます。

 

 しかし、倭寇で名のわかる日本人は非常に少なく、手記など残している人もいないため、最初にワインを飲んだ日本人を厳密に特定することは、残念ながら不可能です。ただ、「状況でいえば、はじめてワインを飲んだ日本人は、倭寇である可能性が高い」ということは、言えるでしょう。

 

【結論】ワインをはじめて飲んだ日本人は、記録上は戦国武将・島津貴久。そして、記録に残っていないが、その前に倭寇が味見をしていた可能性がある。

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過去記事

島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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