なぜ、鬼のすみかは「山」が多いのか?
「歴史人」こぼれ話・第36回
さらに、もう少し時代を遡ってみよう。縄文人が山の民で、弥生人が田の民と単純に見做すことはできないかも知れないが、稲を手に新たにやってきた人々が、先住民であった山の民を畏怖の念をもって「鬼」と見なしていたとも考えられそうだ。
その後権力者が現れるようになると、四方を征服する中、「まつろわぬ民」を退治すべき「鬼」と見なした。それが「土蜘蛛」や「大嶽丸」「悪路王」「弥五郎どん」「両面宿儺」(りょうめんすくな)などと呼ばれる、本来は各地方で穏やかに暮らしていた人々あるいはその棟梁たちであった。
興味深いのは、その「土蜘蛛」の名が『日本書紀』にも登場する点である。山の神・大山祇神(おおやまつみのかみ)や木花開耶姫(このはなさくやひめ)などは、天津神こと征服者であったヤマト王権の権力者にとっては、いわば征服された側の一族である。幸いにも彼らは国津神として崇められる存在となったが、それに反して未だ王権に反抗し続けた「まつろわぬ民」は、「鬼」と見なされて討伐すべき存在と見なされた。それが、同書にも記された「土蜘蛛」であった。
一説によれば、渡来人もまた鬼と見なされたこともあったようだ。桃太郎に退治された百済の王子「温羅」(うら)や、中国からやってきたという「河童」などもそれに該当するのかもしれない。
謎めく山の民が、「鬼」の正体だったのか?
つまるところ、「山」こそ、得体の知れない人々が暮らすところだと認識されていたことが、「鬼」のすみかと思われるようになった一因であった。
そこに蔓延る盗賊ばかりか、山で遭難した人々、あるいは逃げ込んだ人々、山に捨てられた人々、さらには「まつろわぬ民」として征服者から討伐の対象とされた人々、そんな人々が暮らす「山」こそ、恐ろしいところと見なされてきたのである。これらの謎めく山の民、彼らこそが「邪」なるもの、つまり「鬼」と見なされてしまったことで、数え切れないほどの「鬼」が日本中の山々で誕生していったと考えられるのだ。