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なぜ、鬼のすみかは「山」が多いのか?

「歴史人」こぼれ話・第36回


「酒呑童子」(しゅてんどうじ)が拠点としていた大江山をはじめ、「鬼」がすみかとしていたのは、不思議なほど「山」が多い。日頃踏み込むことの少ない難所も多かったところから、何やら怪しげなるものが潜んでいるかのように思われたからかもしれないが、果たしてどうか?あらためて、なぜ「山」に「鬼」が潜むと見なされたのか、その謎に迫ってみたい。


「鬼」とは、もともと「死霊」だった?

京都府の福知山市、宮津市、与謝野町にまたがる連山である大江山。新・花の百名山にも選定され、丹後天橋立大江山国定公園として国定公園にも指定されている。

 「鬼」のすみかと見なされるところは、不思議なほど「山」が多いようである。「鬼」の中の「鬼」と恐れられた「酒呑童子」が潜む大江山をはじめ、身の丈30メートルもある大盗賊「大嶽丸」(おおたけまる)の鈴鹿山、第六天魔王の申し子「鬼女紅葉」(きじょもみじ)の戸隠山(とがくしやま)等々、そのすみかは、いずれも申し合わせたかのように、「山」である。これに疑問を抱いた人も、少なくないのではないだろうか。その謎について考えてみたい。

 

 まずは、「鬼」の語源から考えてみよう。もともと「鬼」(「隠」あるいは「於邇」「遠」などと記されることもある)とは、死者の霊、つまり死霊を意味するものとして中国より伝わった言葉(江南の「薀神」が元になったとの説も)だったといわれる。

 

 今を生きる人にとって、それは死の世界、つまり現世とは異なる「異界」に居るとされる「邪」(よこしま)なるものをも意味するものであった。もちろん「異界」など、誰も行ったことのない得体の知れない世界である。理解しようのない世界だけに恐れ、想像を膨らませて一層恐ろしい世界と考えるようになったのだろう。その「異界」に潜む「邪」なるものを「鬼」と呼んで、恐れおののいたのがそもそもの始まりであった。

 

 仏教が広まるようになると、経典に記された六道の一つ・餓鬼道や地獄道のイメージが加味されるようになる。地獄に陥った亡者を獄卒として苦しめる、あの恐ろしげなる「鬼」の姿も重なって、ますますおぞましい姿へと変貌を遂げて見られるようになっていったのだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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