×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画

伊予に覇を唱えた河野氏の本城として君臨した湯築城【愛媛県松山市】

城ファン必読!埋もれた「名城見聞録」 第22回


戦国時代、全国各地で覇権が争われたが、四国はとくに多数の小勢力が存在し、群雄割拠した地域であった。そのなかで伊予の主要な城として乱世を切り抜けた名城が愛媛県松山市の湯築城であった。


 

■長年、伊予国の中心的な城としてそびえた

 

主郭の最高所に位置する本壇。現在は展望台になっているが当時は物見櫓が存在したか。

 

 湯築(ゆづき)城は、愛媛県松山市に所在する平山城である。松山市といえば、現存天守を擁する松山城が有名であるが、松山城が築かれたのは、関ヶ原の戦い後だった。少なくとも、戦国時代までは、伊予国の中心的な城は、この湯築城であったことは疑いない。

 

 湯築城は、外堀と内堀という二重の堀と土塁に囲まれており、平山城としては珍しい輪郭式の縄張となっている。主郭は、内堀の中側にあり、地表からの高さが30mほどの丘陵に、複数の曲輪が連郭式の縄張で配されている。つまり、全体からみれば、輪郭式と連郭式を併用した縄張をもつ城だったということになる。

 

 いわゆる中世城郭であるため、城内に江戸時代の建物などは存在していない。しかし、水堀や土塁が残るほか、外堀と内堀の間には、侍屋敷などが推定で復元されている。城域一帯も道後公園として整備されているため散策しやすい。ただ、残念ながら丘陵に設けられていた主郭については、整備がいきすぎて遺構の確認が困難になってしまっている。

 

 築城の年代については不明な部分が多く、よく分かっていない。しかし、残された史料から考えると、南北朝時代、伊予(いよ)国に勢威を誇った河野(こうの)氏によって築かれたというのが実際のところであったとみられる。

 

 河野氏は、古代の豪族・越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる名門で、平安時代末期、伊予国風早郡河野郷(愛媛県北条市)を本拠として河野氏を称した。治承・寿永の乱、いわゆる源平合戦では源頼朝に従って鎌倉時代には御家人となり、文永・弘安の役では元との戦いに活躍した。しかし、鎌倉幕府が滅亡して南北朝の動乱がおこると、南朝方の庶流と北朝方の嫡流に分かれて争うようになり、北朝方に属していた河野通盛(みちもり)が湯築城を築いたと伝わる。

 

内堀と外堀の間には河野氏家臣団の侍屋敷があったとみられる。

 

 南北朝の動乱は、室町幕府の3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)により、北朝優位のなか終結した。そうしたこともあり、北朝に与した河野氏の嫡流が室町時代を通じて伊予守護職を世襲することになっている。

 

 その後、湯築城は伊予守護河野氏の本城として大幅に拡張された。南北朝時代の湯築城は、内堀の中側くらいの規模だったと考えられるが、室町時代から戦国時代にかけて、現在の規模に拡大したとみられる。

 

主郭を囲む内堀と土塁。写真左手が主郭のある丘陵。

 

 戦国時代になると、河野氏は戦国大名として伊予一国に君臨した。しかし、一族で家督争いを繰り返したことで、弱体化してしまう。そのため、土佐国から伊予国へと侵攻してきた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に対抗することができなくなってしまった。結局、長宗我部氏への降伏を余儀なくされてしまったのである。

 

長宗我部元親
群雄割拠であった戦国時代の四国をほぼ統一した猛将。「土佐の出来人」と呼ばれ、乱世に名を轟かせた。

 

 天正13(1585)、豊臣秀吉が長宗我部元親を討つと称し、四国に大軍を派遣した。いわゆる四国攻めである。このとき、湯築城の河野通直(みちなお)は、長宗我部氏に服属していたことから豊臣方の軍勢と戦うことになってしまった。結局、小早川隆景(こばやかわたかかげ)の軍勢に包囲された河野通直は、およそ1か月の戦闘を経て、降伏開城している。

 

 四国平定後、小早川隆景が湯築城の城主になると、河野通直は城主の地位を失い、小早川隆景によって庇護されることとなった。そのうえ、河野通直自身が嗣子無く没したことで、戦国大名としての河野氏は滅亡してしまったのである。

 

本壇から望む松山城。湯築城とは目と鼻の先に位置している。

 

 天正15年(1587)、福島正則(ふくしままさのり)が城主となるが、ほどなく瀬戸内の燧灘(ひうちなだ)を望む国分山城(愛媛県今治市)に居城を移した。そして、関ヶ原の戦い後、松山一帯を領有することになった加藤嘉明(かとうよしあきら)が新たに松山城を築いたことで、湯築城は完全に廃城となっている。

 

加藤嘉明
嘉明は伊予に入り、四半世紀の月日をかけて松山城を築城したという。

KEYWORDS:

過去記事

小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

最新号案内

歴史人2023年7月号

縄文と弥生

最新研究でここまでわかった! 解き明かされていく古代の歴史