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幕末だけじゃない!古代から繋がる横須賀の魅力を巡る旅へ【前編】

『歴史エキスパート×食のエキスパートが紐解く、横須賀の〝新〟魅力発掘ツアー』レポート


去る2月11日(土)、横須賀集客促進・魅力発信実行委員会主催、歴史人企画・監修による『歴史エキスパート×食のエキスパートが紐解く、横須賀の〝新〟魅力発掘ツアー』が行われた。


 

■さあ、〝新〟横須賀魅力発見の旅へ!

 

横須賀本港

 

 これは歴史人編集部が制作した、横須賀の歴史を古代から近代まで幅広く取り上げた歴史フリーマガジン『横須賀人』の発刊に伴い開催が決定したバスツアーである。誌面を読んだだけでは知ることのできない横須賀の歴史知識や地元の味覚を味わうことができる、歴史と食が融合した新感覚のバスツアーだ。

 

 ツアー当日は晴天にも恵まれ、神奈川県内外から上限の24名の方が参加。申し込みから数週間で満員御礼となる人気ツアーとなった。

 

 本ツアーでは歴史フリーマガジン『横須賀人』の中から、ティボディエ邸、走水神社、西叶神社、東叶神社、浦賀の渡し、2022年NHK大河ドラマで話題となった三浦氏ゆかりの満昌寺を訪れた。古代から幕末に至るまで幅広い時代の歴史を巡る旅ということで、各メディアで活躍し『歴史人』本誌でもおなじみの歴史研究家 小和田泰経氏をスペシャルツアーガイドにお迎えした。

 

スペシャルツアーガイドの歴史研究家・小和田泰経氏

 

■まずは「ティボディエ邸」で幕末まで、タイムスリップ!

 

 ツアーはヴェルニー公園内にある近代遺産ミュージアム ティボディエ邸前に9時に集合し、同館のシアターで近代の横須賀の歴史を再確認することからスタート。

 

 ちなみにヴェルニーとは嘉永6年(1865)に起工した横須賀製鉄所(造船所)の首長を務めた人物で、日本人技術者の育成に尽力し日本の近代化に大きく貢献したフランス人技術者である。同様にティボディエもフランス人技術者で、明治2年(1869)に横須賀製鉄所副首長として来日し、造船分野や付属学校での日本人の高等教育などで活躍した人物だ。幕末に日本開国の原点となった場所ならではの歴史と薫りを感じられる場所である。

 

 15分間のタイムスリップでは横須賀が誇る造船技術がフランスの協力のもと発展し、その後の海軍工廠を経て現在の横須賀基地へと受け継がれてきた一端を知ることができる。

 

ティボディエ邸は、京浜急行「汐入駅」・JR「横須賀駅」から徒歩5分。

 

 横須賀市では歴史・文化の見どころや自然豊かなスポットを「サテライト」と呼び、それらを「ルート」でつなぐことで、市内全体を大きな「ミュージアム」としてとらえた横須賀の新しい楽しみ方『よこすかルートミュージアム』を推進している。

 

ティボディエ邸では、「サテライト」カードを無料で手に入れることができる。

 

 ティボディエ邸を後にした私たちは、バスに揺られて海岸通りを一路西に。

 

 その道中で参加者にはイヤホンが配られるのだが、これは今回ガイドを担当する小和田氏の解説音声ガイドを漏れなく楽しむために用意したアイテムだ。小和田氏から離れた場所にいる場合、風が強く肉声では届きにくい場合、何よりソーシャルディスタンスを保ちながらツアーを楽しむことができる、コロナ禍以後ならではの必須アイテムといえる。

 

実際に使用したイヤフォンガイド。

 

■神話の時代から続く横須賀の魅力を発見『走水神社』

 

走水神社

 

 ツアー最初の目的地である走水神社は、ヤマトタケルとその后・オトタチバナヒメにまつわる由緒ある神社。房総半島を望む東京湾を背に階段を登り拝殿前に着くと、イヤホンガイドを利用した小和田泰経氏の解説がさっそく始まった。

 

「この走水神社は『古事記』『日本書紀』にも記されている神社です。ヤマトタケルが東征(ヤマト政権が東国に勢力を伸ばすために行った遠征)でこの地を訪れた際、対岸の上総に渡ろうとしたところ、海が荒れて渡れなかった。そこでオトタチバナヒメが入水して海を鎮めたのですが、ヤマトタケルは出航する際に自分の冠を地域の人に渡しました。それを埋めて祀ったのがこの神社の始まりと言われています。」(小和田氏)

 

 ヤマトタケル一行がこの走水を訪れていたことにも驚きだが、そもそもなぜここから船で房総に渡ろうとしていたのだろうか。

 

参加者たちも真剣に小和田氏の解説を聴き入っている。

 

「ここ走水は東海道の要衝でした。江戸湾に注ぐ利根川や荒川、多摩川などの6河川の河口付近は湿地帯になっており、陸路での移動が難しく、そのためここから船で渡って対岸の房総半島に向かう海の道になったのです。なお走水の対岸、木更津という地名は、海を渡ったヤマトタケルが入水したオトタチバナヒメを悲しみ、なかなか立ち去ることができなかったことで「君去らず」から木更津に、袖ケ浦もオトタチバナヒメの着ていた服の袖が流れ着いたから袖ケ浦に、富津も布流津……布が流れ着いたという伝承から名付けられたという説があります。津は港ですね。」(小和田氏)

 

 付近にある御所ヶ先という地名も、そこにヤマトタケルの御所があったために名付けられたそうだが、オトタチバナヒメの櫛が流れ着いたという伝承から橘神社もあったそうだ。現在、橘神社はこの走水神社に合祀されているという。

 

晴天に恵まれた当日は、房総半島まで肉眼で一望することができた。

 

走水神社【住所】〒239-0811 神奈川県横須賀市走水2丁目12-5

 

 

■浦賀港の漁業によって守られた『西叶神社』

 

西叶神社の歴史を解説する小和田氏。

 

 次に向かったのは、浦賀にある2つの叶神社だ。

 

 まずは西叶神社であるが、ここは、養和元年(1181)、源氏の再興を願って上総の鹿野山神野寺に参篭した文覚(もんかく)が、京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう)したことが由来だという。

 

「もともと文覚は北面(ほくめん)の武士として鳥羽上皇に仕えていましたが、京都にある神護寺を再興するよう後白河上皇に強訴(ごうそ)したことが逆鱗に触れ、伊豆に流されました。そこで頼朝に出会い、決起させて平家を倒し、その願いが叶ったとして京都の石清水八幡宮を勧請しました。」(小和田氏)

 

 そんな由緒ある神社だが江戸時代後期に大火で焼けてしまい、現在の社殿は天保13年(1842)に再建されたものだという。

 

「その費用は当時のお金で3000両。1両4万円くらいで換算すると1億2000万円にもなります。それを捻出したのが浦賀の商人たちです。江戸時代、浦賀は貿易で栄えており、房総半島から肥料に使う干鰯(ほしか)を仕入れ、それを諸国に売る海鮮問屋がいくつもあったんです。」(小田和氏)

 

 そしてもうひとつ注目したいのが、社殿に施された龍などの彫刻だ。再建の際に安房の国から彫刻師の後藤利兵衛を呼び、再建費用3000両の内、400両をこの彫刻に使っているという。浦賀がいかに栄えていたかが分かるエピソードだ。

 

「最近ではこの叶の字の「口偏」と 旁(つくり)の「十」をカタカナのトに見立て、ロトの宝くじが当たるということでお参りされる人も多いみたいです(笑)」(小和田氏)

 

 境内には「叶」の文字の願掛け絵馬が多数飾られ、海風に吹かれて時折カランと心地よい音を奏でていた。

 

西叶神社の願掛け絵馬。

 

西叶神社【住所】〒239-0824 神奈川県横須賀市西浦賀1丁目1-13

 

 

■東西が力を合わせればパワーアップ『東叶神社』

 

東叶神社

 

 浦賀の渡しに乗り「浦賀海道」を越え、続いて訪れたのは対岸の東浦賀にある東叶神社。

 

 こちらも西叶神社と同様、文覚が京都の石清水八幡宮を勧請したことが由来とされ、境内には源頼朝が伊豆から移植したとされるソテツが残されている。分社の経緯は不明だが、元禄5年、五代将軍綱吉のころに東浦賀村と西浦賀村に分かれた際に鎮守として叶神社から分霊した、といった説もあるようだ。

 

東叶神社の歴史解説をする小和田氏と真剣に聞く参加者。

 

 この東叶神社には、1860年に勝海舟が咸臨丸で太平洋横断をする前、この東叶神社で断食修行を行ったと伝わっている。

 

 社務所の裏手には海舟が水垢離(みずごり)をしたとされる井戸があり、奥の院がある明神山には断食之跡が残っている。今の住職の曽祖母が海舟の修行のお世話をしたそうで、海舟は木刀を振りかざして一心不乱に修行をしていたといい、社務所には海舟が身にまとっていた法衣が保管されているという。

 

 そしてもうひとつ大きな特徴が、この立地だ。

 

「勝海舟が修行をしていた明神山ですが、ここには浦賀城という戦国時代のお城があります。戦国時代、対岸の房総半島からは里見氏の水軍がたびたび攻めてきました。それに対抗するために、後北条氏が水軍の拠点として築いたのが浦賀城です」(小和田氏)

 

 東西の叶神社は、願いが叶うということでパワースポットしても人気があるが、先ほどの西叶神社で勾玉を買い、こちらの東叶でそれを入れる袋を買うと、さらにその効果が強まるそうだ。

 

東叶神社で手に入れることができる、お守り袋。

 

東叶神社【住所】〒239-0821 神奈川県横須賀市東浦賀2丁目21-25

 

人気料理研究家 きじまりゅうた氏考案の『横須賀開国メシ』や三浦氏ゆかりのスポット巡りは、後半に続く。

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古代の都と遷都の謎

「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。