人柄が垣間見える15代将軍の「趣味」
「将軍」と「大奥」の生活⑮
■理系の学問に強い興味を持っていた吉宗

楓之間の起こし絵図である『楓之間続き新御茶屋起絵圖控』。将軍がくつろいで余暇を過ごした中奥楓之間の庭に立っていた、茶屋の起こし絵図。ふたつの部屋を備えている。都立中央図書館特別文庫蔵
吉宗は、乗馬も好んだ。紀州時代には、和歌山城を出て領内の山々を駆け回ったという。将軍になってからも変わらず、馬の品種改良に熱心に取り組み、西洋の馬術や馬についての知識も蓄えた。下総国小金(こがね)や佐倉の両地に広大な牧を開き、馬を飼育したのも吉宗である。
享保10年と11年には、小金牧(こがねまき)で大規模な鹿狩りも実施した。絵画に関しては、狩野常信(かのうつねのぶ)に師事し、常信の孫・狩野古信(ひさのぶ)に絵の手ほどきをするほどであった。
一方、宋・元時代の中国画を愛好し、各大名家が秘蔵していた南宋時代の画僧・牧谿(もっけい)筆の絵を借用し鑑賞している。海外情報にも関心が高く、海外の政情や法律、社会風俗などを聴き取ったりもしている。望遠鏡で天体観察をするのが日課だったことからも分かる通り、現在で言う「理系」の学問への関心も深い。
本草学(ほんぞうがく)や漢訳洋書の輸入禁止政策緩和にそれが表れており、のちの幕府の政策にも関わっていく。加えて、歴史書や法律書なども含め、和漢の調査など蔵書形成にも力を入れたことは、将軍の「図書館」である紅葉山文庫の整備と関わっていく。
意外と多彩な趣味を持つのは10代・家治(いえはる)である。幼い頃から祖父の吉宗に可愛がられた影響からか、みずから統治の秘訣や武芸などを教えるため小姓を付属させ、養育した。そのためか、家治は剣術・鎗術・弓術・馬術は相当に上達し、吉宗同様、鷹狩にもよく出向き、鉄砲は中島内匠に学び、百発百中を誇る名人になったという。また、将棋好きが高じて『御撰象棊攷格(ぎょせんしょうぎこうかく)』を著した。
13代の家定(いえさだ)は料理を趣味とした、一風変わった将軍で、煎った豆を周囲の者に食べさせては喜んだという。
将軍の別邸である浜御殿(はまごてん)によく出かけたのは、11代・家斉(いえなり)である。自身で出かける以外、お気に入りの旗本をよく招待して、遊んだ。気に入った植木鉢を下賜したり、釣りに興じたり、御庭で料理や酒でもてなしたという。
監修・文/種村威史
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