人柄が垣間見える15代将軍の「趣味」
「将軍」と「大奥」の生活⑮
■江戸前期の将軍ほど熱心だった「茶の湯」

10代・家治が残した棋譜(きふ)。10代・家治は将棋が強く、江戸時代の家元らと対局するほどで、「御七段目」と称された。老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)に政治を任せ、趣味に没頭した結果でもあった。家治の棋譜は『御撰象棊攷格』として残っている。国立公文書館蔵
政務がない時間、あるいは終わった後の余暇を、歴代将軍は思いのままに過ごした。そこには将軍の個性も垣間見え、なかなか興味深い。
初代・家康(いえやす)の鷹狩(たかがり)や調薬(ちょうやく)は有名だが、相当に学問熱心でよく書を読んでいたことは、後の幕府の諸政策にも大きな影響を与えた。3代・家光(いえみつ)も祖父同様、鷹狩を好んだが、一方では自分で能や狂言を舞い、諸大名にも踊らせ見物するほど楽しんだ。
4代・家綱(いえつな)は鶏の絵を描くなど絵画好きで有名で、多くの作品を残している。その一方で、茶の湯、幸若(こうわか)などの芸能を好んだ。こういう面からもおとなしい将軍とみられるが、実は父の家光にならい、鷹狩や武芸鑑賞に熱心な面もあった。なお、茶の湯に関しては、特に前期の将軍ほど嗜(たしな)むべき趣味であり、政治の手段ともなっていた。
5代・綱吉(つなよし)は、自ら大名に四書五経を講じるほどであった。そんな綱吉の儒学の造詣の深さが、元禄3年(1690)、孔子廟である湯島聖堂の建設につながった。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)邸を始め、大名家へ「御成(おな)り」をすることが多かった将軍でもある。
6代・家宣(いえのぶ)は、学問習得への欲求が強かった。家宣の侍講は、正徳の治を主導した儒学者の新井白石(あらいはくせき)である。家宣は白石から、朱子学だけでなく歴史・地理・言語学などを学ぶことに積極的だった。
8代・吉宗(よしむね)の趣味は多彩である。第一の趣味は鷹狩である。生類憐みの政策により中断していた鷹狩を享保2年(1717)より再興し、同3年には10回、同13年には11回出行(しゅつぎょう)し、江戸周辺を中心に楽しんだ。それは「上(将軍)様のおすきなもの、鷹野と下(庶民)の難儀」という落首(らくしゅ)まで作られるほどであった。
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