×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画

6時に起床後、慌ただしく整えられた「将軍の身支度」

「将軍」と「大奥」の生活⑧

■身のまわりの世話はすべて小姓らが担当

図面で見る将軍の寝所
将軍専用個室は御座之間のみだったが、貞享元年(1684)に江戸城内で刃傷事件が起きたため、この場所に寝室を設けた。絵図は万延度(1860〜1861)のもの。『御本丸御小座敷上御納戸御駕籠台地絵図』東京都立中央図書館特別文庫室蔵

 将軍の寝床は、御休息之間(ごきゅうそくのま)の御上段である。この部屋は上・下段からなり、18畳ほどである。将軍起床の前には、小姓が将軍の寝床に控えており、明六つ時、将軍が目を覚ますと小姓は「モウ」と触れる。

 

 小姓は28人、うち数人が小姓頭取であった。この小姓がローテーションで、将軍身辺の雑務をした。

 

 御休息之間は中奥の西にあった。江戸初期は、将軍はここで寝起きしていなかったが、貞享元年(1684)、大老の堀田正俊(ほったまさとし)に若年寄の稲葉正休(いなばまさやす)が斬りかかり、正俊が死亡するという刃傷事件が起きた。そのため、新たに西の奥の御休息之間を寝所とした経緯がある。将軍の寝所だけに、場所の選定にも慎重を要したことがうかがえる。

 

 将軍が目を覚ます。小納戸が、うがいやお手水、御膳の用意など将軍の朝の支度を開始する。なお、歯磨きは歯磨き粉や塩を使い、これを楊枝を使って磨く。小納戸は110人程度。うち数人が小納戸頭取であり、物品管理などを行なった。

 

 その後、大奥の仏間へ行き、歴代将軍の位牌に拝礼を行ったのち、小座敷にもどり薄茶などを飲みながら休息をする。礼拝に関しては、総触(そうぶれ)の前に赴(おもむ)いた、将軍ひとりではなく御台所も一緒だったなどの説もあり、時代によって異なった時間帯に行なわれた可能性もある。

 

 また、御膳(朝食)についても、起床後にすぐに食べ、御髪(おぐし)番が食事と並行して将軍の髪を結い、顔や月代(さかやき)を剃ったという説や、身支度や、後述する医師の診断を済ませてから食べたという説もある。

 

 食事と並行して御髪番が整髪するのは、現代の感覚でいうと不衛生であるようにも見えるが、時間を節約する狙いがあったのかもしれない。将軍の朝は、それほどあわただしかったのである。

 

 御髪番には、特に信頼を得ていた者が就いていたと考えられる。大河ドラマ『青天を衝け』では、小姓の平岡円四郎が一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ/後の15代将軍)の御髪番という設定だった。

 

■将軍の普段着は意外に質素だった

 

 中奥には、6~10人の奥医師が登城していた。医師たちが毎朝、将軍を診察する。

 

 本道(脈をとる医師)は毎日、外科、眼科、針医は3日に一度くらいだったという。交錯した将軍の両手を、ふたりの本道が平伏しながら脈を取り、問診をした。さらに本道は将軍の袖口から手を入れ、腹を触診する。診察している間に、髪あげも終了となる。

 

 医師たちにも序列があり、上席は半井(なからい)氏と今大路(いまおおじ)氏で、ともに世襲だった。前者は半井ト養(ぼくよう)、後者は今大路道三(どうさん)が著名である。この両氏の官位は従五位下、石高は1200〜1500石だった。

 

 この時の将軍の着物は、普段は上は黒羽二重(くろはぶたえ)、黒縮緬(くろちりめん)の御紋付で、裏は茶羽二重、浅黄(あさぎ)羽二重、下は八丈縞である。単衣(ひとえ)は、襦袢(じゅばん)の上に縞縮緬か紺縮緬、帯は「トツ故(独鈷/とっこ)」で、色柄は紺が多かった。

 

 羽織を着用しないというのがしきたりだったようだが、寒い冬などは例外的に着ることもあったと、幕末の幕臣・竹本正雅(たけもとまさつね)が『旧事諮問録(きゅうじしもんろく)』に証言している。

 

 衣類は、基本は新品であったが、幕府が財政難に陥っていた時分は、随分汚れたものを着ることもあったという。ただし、仏前に出る時と、老中を謁見する時は紋付に袴を着用したという。

 

 将軍の1日の生活に欠かせない便所は当然、専用のものであり、萩の御廊下の南側に設けられ、庭の方は高摒で囲まれていた。大便所、小便所とも京間(きょうま)で一間(いっけん)ほどだったというから、1・82平方mといったところ。冬は冷えるので、火鉢を置いて温めていたという。

 

奥医師の役料や役割
奥医師は幕府医官。役料は上席以外は200俵で僧位の装束を着用。御台所や子息の診察も担当した。『古事類苑』には「毎日登城して」とあるが、1日おきに交代で登城した説もある。『徳川盛世録』東京都立中央図書館特別文庫室蔵

監修・文/種村威史

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

KEYWORDS:

過去記事

歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

最新号案内

歴史人2023年4月号

古代の都と遷都の謎

「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。