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【鏡山事件】自害した女主人の仇を討った 「烈女」による濱田藩松平家の御家騒動(濱田藩/島根県)

江戸時代の「御家騒動」事件簿 【第5回】鏡山事件(濱田藩/島根県)


藩主の正室(夫人)には身の回りの世話をする多くの付き人が存在した。濵田藩(はまだはん)では、そんな女たちの間で起こった摩擦は、藩を揺るがす大騒動に発展したのだった。


事件のでも本質は、若くて有能な岡本みち(道)に対する、老女・沢野の嫉妬が原因。
草履を取り間違えたという些細なことで執拗に叱責する老女・沢野は、今日的には単なる
パワーハラスメントでしかない。イラスト/永井秀樹

 

 濱田藩主4代目の松平康豊(まつだいらやすとよ)は、養子で分家の出身であったからか、藩内には藩主に従わない勢力があって苦労していた。そのためもあって、正室は自分の血筋に当たる津和野(つわの)藩・亀井家から迎えた。濃い血縁関係によって藩政を磐石に、という狙いであった。

 

 夫人の輿入れには、亀井家からお付きの局(つぼね)として老齢の落合沢野(さわの)を伴ってきた。沢野は藩主夫人の局(中老)として輿入れ以来、濱田藩内の大奥では権勢をほしいままにした。『石見家系録』によれば、沢野は「才学兼備なれど規律過厳、俗衆に嫌われる」とある。元来が、亀井家に仕える筋目ある武士の娘で、大奥のしきたりや運営方法には私することがなく正直で真っ直ぐな性格であった。だが、少しだけ短気であることが欠点だとされた。

 

 若い女中たちはこうした沢野を敬遠し、大奥の雰囲気が悪くなってきたことを知った藩主夫人は、こうした雰囲気を和らげようと、新しい中老を採用した。そして、元大和郡山(やまとこおりやま)藩士の娘・岡本みち(道)が選ばれた。同時に、中老に付く召使いとして松田さつ(察)という娘も採用された。さつは、長府藩士の娘で、若く体格は頑丈、武芸にも秀で、力は男並みという「男勝り」の女中であった。みちも、物怖じすることがなく、はっきりモノを言い、それでいて心立てが優しいさつを気に入って、主従というよりも「姉妹」のような親しさで、お互いに助け合った。藩主夫人も新しい中老・みちを気に入って何くれなく目を掛けた。こうしたことから、先輩の中老・沢野は、後輩の中老・みちを気に入らない。そうなると、イジメになる。

 

 ある時、藩主夫人から急用で召されたみちは、廊下に草履(ぞうり)が見当たらない。「またか」と思いつつ、探したがない。仕方なく一時しのぎに、と他人の草履を拝借して夫人に拝謁(はいえつ)した。その帰途に廊下で沢野と出会った。沢野は、みちが自分の草履を履いているのを見て叱責した。

 

「女が足の行儀を忘れてどうするのか。多くの女中を取り締まる立場にある中老が、自ら他人の草履を無断で履くという不行儀をして見せるとは。そなたは、どういう育てかたをされたのか」とじわじわ苛めた。

 

 平謝りに謝るみちが、最期は草履を前に揃えて手を付いて土下座したにもかかわらず「浪人すれば心まで卑しくなるものだな。他人が一度はいた草履など不要だ。欲しければ、そなたに差し上げよう」と言う。浪人すれば、というのはみちの父親を指してのことであった。みちは、自分ばかりか父親まで引き合いに出されて傷付けられたのを恥じた。

 

 翌朝、みちは召使いのさつに「この手紙を城下に住む両親に届けて欲しい」と依頼した。さつが出掛けた後、みちは父から貰った守り刀の短刀で自害して果てた。21才であった。嫌な予感がしたさつは途中で戻った。すると、みちの遺骸と自分宛の遺書があった。そこには「自分の不始末は仕方ないが、家名を傷付けられたことは武士の娘として堪忍できない」とあった。

 

 遺書を読み終えたさつは、そのままみちの短刀を片手に沢野の部屋に急ぎ、沢野をみちの部屋に連れてくると、いきなり飛び掛かって沢野をひと突きに刺し殺した。濱田藩内は大騒ぎになった。さつは取り調べられた。その結果、様々な証拠品や遺書などが採用され、「我が儘(わがまま)な振る舞いではあるが、主人の仇討ちとは男も及ばぬ天晴れ(あっぱれ)なること」とされ、無罪放免となった。さつは、その後奥老中格にまで出世して「松尾」と名乗った。27歳の時に藩士と結婚し幸せに暮らした。

 

 この事件は浄瑠璃・歌舞伎になり「加々見山故郷錦絵(かがみやまここきょうのにしきえ)」という芝居として今も上演されている。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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