「日本武尊の子・武田王」と武田信玄の繋がりとは?
鬼滅の戦史111
源為朝が武田姓を名乗った?
またもう一つ、この武田家と、その源流ともいうべき河内源氏との奇妙な繋がりについても触れておきたい。舞台となったのが、武田八幡宮奥に設けられた為朝神社である。創建したのは、前述の信義であるというのが面白い。
祀られているのは、元暦元(1185)年に伊豆大島で自害したはずの源為朝である。ただし、ここでは為朝は伊豆大島では死なず、なぜか2匹の鬼を従えて、この地にやってきたと言い伝えられているのである。しかも、改姓して「武田為朝」を名のったというから、驚きが止まらない。とても信じ難いと言いたいところであるが、どうやらそう言い切れない事情が推察できる。
意外にも、同県大月市真木にも、為朝がたどり着いたとの伝承が伝えられているからだ。そればかりか、近くにそびえる滝子山にも、為朝の妻・白縫がたどり着いたと伝えられている。
為朝ゆかりの伝承地が同地周辺にいくつか点在するとなれば、あながち「あり得ない」と断言することが難しくなってくるのだ。
ともあれ、日本武尊から武田王を経て、源為朝や武田信玄(たけだしんげん)、勝頼(かつより)に至るまで、当地を舞台として、意外な人物が一本の線で繋がっていることになる。これには何とも不思議な縁を感じてしまうのだ。
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