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平清盛に恨まれ、孤島に取り残された俊寛の亡霊伝説

鬼滅の戦史109


平家打倒の密謀に加わったことで、仲間2人とともに鬼界島(きかいがしま)へ流された俊寛(しゅんかん)。後に2人は赦免(しゃめん)され、島を離れてしまう。たった1人残されて非業の死を遂げることになるが、恨みが募り亡霊となって化けて出たという。俊寛とは一体、どのような人物だったのだろうか?


 

鹿ケ谷の陰謀に加担

藤原成親と行われた鹿ケ谷の陰謀。『源平盛衰記図会』奥貞章画/国文学研究資料館

 俊寛とは、あまり聞きなれない名前である。平家打倒の密謀を企てたとされる鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀、その首謀者の一人といえば、おわかりいただけるだろうか?もちろん、御柱として祭り上げられたのは後白河(ごしらかわ)法皇で、俊寛はその側近として仕えていた人物。それゆえに、密謀に巻き込まれてしまったというべきかもしれない。

 

 首謀者の筆頭は、後白河法皇の近臣第一といわれた西光(さいこう/藤原師光/ふじわらのもろみつ)と、権大納言の藤原成親(ふじわらのなりちか/平重盛の義理の兄で、娘は平維盛の妻)らで、俊寛はむしろ、成親にそそのかされて加わったというべきだろう。

 

 成親が、不美人とはいえ愛情に溢れる鶴の前という少女を俊寛に近づけ、これに俊寛が心を奪われて子までなしたという。女性にほだされて謀反に加わったと見ることもできそうだ。

 

 ところがこの密謀、謀議に加わっていた多田源氏の行綱(ゆきつな/後に鵯越[ひよどりごえ]の逆落としで名を馳せた)が裏切り、清盛の知ることになる。挙句、西光が拷問にかけられた末、斬首。成親は備前国に配流が決まるも、その途上、食事を与えられず餓死したとか。崖から突き落とされて殺されたともいわれることもある。

 

 俊寛と、ともに謀議に加わっていた後白河法皇の近習・平康頼(たいらのやすより)、そして藤原成親の子・成経(なりつね)の3人だけが、薩摩国の鬼界島に流されてしまったのである。

 

 ただし、そこは成経の舅(しゅうと)にあたる平教盛(たいらののりもり/清盛の異母弟)の領地であった肥前国鹿瀬(かのせ)庄が近かったこともあって、そこから衣食が送られてきたことで、三人はかろうじて命を繋ぐことができたようだ。

『源平盛衰記図会』奥貞章画/国文学研究資料館蔵

俊寛だけが1人取り残される悲運

 

 3人が鬼界島において苦難生活を強いられていたちょうどその頃、都では、清盛の娘・建礼門院(けんれいもんいん/平徳子/たいらのとくし)が懐妊している。それでも、月を重ねるごとに苦しみを訴えるようになったとか。祈祷を続けるうちに、徳子に悪霊が取り憑いていることがわかった。

 

 かつて非業の死を遂げた讃岐院(さぬきのいん)や藤原成親の死霊ばかりか、鬼界島に流された流人たちの生霊までもが取り憑いているというのだ。これを危惧した清盛は、讃岐院に崇徳(すとく)の院号を与えるとともに、鬼界島の流人たちをも赦免することに。ただし、康頼と成経の2人だけで、俊寛だけは結局、許されることがなかった。

 

 これは俊寛に対する清盛の怒りが、特段、大きかったからであった。たった1人置いてけぼりにされようとする俊寛。出航する船にすがりつき、必死に乗せていってもらうよう頼むも、無残にも手を振り払われて、浜辺に1人置いてけぼりにされてしまうのであった。

 

 それから半年の後、俊寛の元に、かつて仕えていた有王丸という少年が訪ねてきた。その彼から、妻や息子がすでに死去したことを聞かされることに。もはや生き長らえる意欲も失せた俊寛は、食を断ち、ひたすら念仏を唱えながら、ついに息を引き取ったのである。有王丸が島にやってきてから、23日目のことであった。

能面俊寛「春若作」銘/東京国立博物館 ColBase

亡霊となって彷徨ったといわれる

 

 一方、この俊寛の物語は、浄瑠璃『平家女護島』にも取り上げられている。ただしそこでは、千鳥という名の島の女が登場して、先述の成経と結婚するという設定にしている点が異なる。俊寛は、千鳥を娘と思う優しい心の持ち主となっていたとするのも特異である。

 

 赦免を知らせるためにやってきた使者・妹尾が持ってきた赦免状には、いうまでもなく康頼、成経の二人の名だけが記され、俊寛の名は記されていなかった。これを哀れに思った平重盛が、父清盛とは別に、俊寛を赦免させるよう独自に使者(基康)を送ったのだ。これで都合、3人が帰国できることになったわけだが、千鳥を入れると4人になってしまうため、彼女の乗船は許されなかった。

 

 これを哀れんだ俊寛が、何と融通のきかない使者・妹尾を殺し、自身がそのまま流人として島に残る決意を固め、千鳥を船に乗せて見送ったのであった。

 

 なお、ここに登場する鬼界島を、鹿児島県三島村の硫黄島と見なすか、奄美群島の喜界島と見なすか、意見の別れるところである。そればかりか、長崎市の伊王島とみなされることもある他、密かに島を脱出して、鹿児島県阿久根市や出水市、佐賀県佐賀市などにたどり着いたとの伝承まであることも付け加えておこう。

 

 興味深いのが奄美群島にある喜界島で、坊主前(ボウズンメイ)と呼ばれた古塚。そこでは、夜な夜な白い馬にまたがった亡霊が、鈴の音を鳴らしながら徘徊する姿を目にすることがあったとの伝承が語り継がれている。その古塚を、島の人々は俊寛の墓とみなして畏敬しているというのだ。

 

 島にたった一人取り残された俊寛。自ら死を選ばざるを得なかったほど悶え苦しんだのだろう。亡霊となって化けて出たというのも、さもありなんと思えてしまうのだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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