【ランキング】征夷大将軍のなかで「一番、偉大だ」と思う人は誰?
朝廷の官職のひとつである征夷大将軍。今回のアンケートは、「征夷大将軍のなかで一番、偉大だと思う人物は誰か」について集計。426票の投票から、第5位から第1位までを発表します。 <総票:426票 男性:女性=8:2>

愛知県岡崎市にある徳川家康公の像。2019年に公開された日本最大級の騎馬像で、家康公が松平から徳川に改姓した25歳当時の姿だそうだ。
第5位 「足利尊氏」 投票数:26票
第5位は26票の「足利尊氏(あしかが・たかうじ)」。室町幕府を開いた初代征夷大将軍で、足利家はその後、15代にわたって君臨します。鎌倉幕府の御家人・足利貞氏(あしかが・さだうじ)の次男として誕生。兄が亡くなり、27歳で家督を継ぎ、当主となりました。
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が挙兵した際に、鎌倉幕府軍として活躍しましたが、その後、幕府への反乱を宣言し六波羅探題を滅ぼします。そして建武の乱を経て、慶応元年(1338)に光明天皇から征夷大将軍に任じられ室町幕府を樹立しました。
「南北朝をひとつにまとめたから」「鎌倉幕府の後、バラバラになり始めていた世を治め、武家政権をまた確立したから」などと乱れ始めていた世を治めたことを評価する人が多かったようです。また、「金閣寺や銀閣寺が象徴するように、日本史のなかでも際立って成熟した文化の時代の始まりとなったから」という声も聞かれました。
第4位 「坂上田村麻呂」 投票数:42 票
4位となったのは、5位の足利尊氏に16票の差をつけた「坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)」。平安時代の公卿で、桓武天皇(かんむてんのう)の軍事を支え、後に軍神として信仰の対象にもなりました。
武術に優れ、「毘沙門の化身」と畏れられたそうですが、延暦13年(794)に蝦夷を討伐し、同16年(797)に征夷大将軍となりました。蝦夷地を平定したことで功績を挙げました。征夷大将軍は、一般的には源頼朝に始まる武家政権における首長を指しますが、元来は坂上田村麻呂のように、本来は蝦夷を討伐するために、朝廷から臨時に任じられた総指揮官のことを指していました。
田村麻呂を推した人からは、「忠臣として名高く、武芸にも秀でており、圧倒的な存在だった」と武門最高の栄誉職である征夷大将軍となったことは当然だとする声が多く聞かれました。また、「認知度はさほど高くはないだけにミステリアスな部分が多く、知りたい人物」「どの本を読んでも感慨深い人物。本当はどんな人物だったのか、大いに興味があります」というコメントもあり、歴史好きな人たちの注目を集めています。
第3位 「源 頼朝」 投票数:76 票
第3位は鎌倉幕府の祖・源頼朝(みなもとの・よりとも)で76票を獲得。2022年の大河ドラマで描かれたことで、その生涯に改めて興味を持った人も多いことでしょう。
源氏と東国御家人をひとつにまとめ、平家滅亡を成し遂げ武家政権を確立したことはご存じの通り。頼朝が征夷大将軍に就任したのは1192年、鎌倉幕府が開かれ(鎌倉幕府の成立は1185年ともされる)、明治維新まで約700年にわたって武士政権が続くことになりました。
源頼朝に票を投じた人の多くが「武家政権を樹立し、不動なものとした」「新しい武士の時代を切り開いた」と、武士による政権を築いたことを高く評価。また「今まで鎌倉時代は戦国や江戸に比べて、あまり注目していなかった。しかし、大河ドラマや雑誌の特集を通して人物を知るにつれ、その凄さが分かって来た。新時代を作った重要人物!」と熱い声も寄せられました。
第2位 「徳川慶喜」 投票数:84 票
源頼朝に8票差で第2位に選ばれたのは徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)。江戸幕府の最後、徳川家第15代の征夷大将軍です。
水戸藩主・徳川斉昭(とくがわ・なりあきら)の7番目男子として生まれますが、幼少より聡明なことで知られ、将軍を出す家柄である一橋家に養子に入ります。そして徳川家茂(とくがわ・いえもち)が病死したことで、第15代の将軍となりました。
時代の流れを止めることは出来ず、将軍就任からわずか1年後、慶應3年(1867)に大政奉還を受け入れます。幕府消滅、そして新政府樹立への道筋を引きました。非難もありますが、混乱を極める幕末に手腕を発揮した偉大な人物であったこともまた、多くの人が認めるところです。
慶喜を選んだ人は、「大政奉還……。現代で想像したもすごいこと。260年以上も続いた江戸時代において、大政奉還という道を決断したことーーその勇気に感服せざるを得ない」「戦争を回避して人民と町を守る……。近代国家への橋渡し役を務めた、明治維新の影の功労者だと思います」と、自ら”最後の将軍”となることを選んだことを重要視している人が実に多くいました。
第1位 「徳川家康」 投票数:156 票
第2位の徳川慶喜の倍にも近い156票を得て、ダントツ第1位に輝いたのは江戸幕府の開祖・徳川家康(とくがわ・いえやす)。2位の慶喜は江戸・最後の将軍でしたが、ご存じの通り、家康は江戸・最初の将軍です。
三河の国の小さな大名家に生まれた家康は、人質として有力な大名のもとを転々として幼少期を過ごしました。家康が自由になるのは、桶狭間の戦いで今川義元(いまがわ・よしもと)が織田信長(おだ・のぶなが)に討ち取られたことから。
ここから大名・家康は頭角を現します。織田信長、そして豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の死を見て、天下取りのときが来るのを慎重に待っていたのかもしれません。「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」は、「家康公御遺訓(いえやすこうごゆいくん)」に書かれている家康の有名な名言。まさに家康の人生観を示しています。
天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利した家康が、朝廷から征夷大将軍に任命されたのは慶長8年(1603)。ここに260年余り続く江戸幕府が誕生しました。
江戸幕府の開祖であるという点が、投票した人たちに共通した理由。「戦国時代を終わらせた真の覇者だ」「260年以上も続く幕藩体制の基盤を作った。日本史上、最も偉大な人物だと個人的には思っています」などというコメントが多数寄せられています。また「15代にも及ぶ長期政権、そして太平の世を作った功績は大きい」「世界にもあまり類のない秩序ある政権、そして世界的な大都市への一歩を踏み出した」「忍耐力、そして何より政治力がある」などの声も多く、家康の功績も1票を投じる大きな理由になったようです。
(アンケート…メールとハガキで集計。総票数:426票)