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【ランキング】授業を受けてみたい歴史上の思想家は?〈第6位~10位〉


 歴史人の公式LINEで集計した独自のアンケートをもとに、「授業を受けてみたい歴史上の思想家」を第6位から10位まで発表。さまざまな分野で活躍し、現代でもその名を知られる偉人たちの名が挙げられた。


美術・儒学・キリスト教などの分野を牽引した思想家たち

 

福井市中央公園(福井市大手)にある岡倉天心像。岡倉は福井藩士岡倉勘右衛門の次男として文久2年(1862)に横浜で生まれた。

 

第6位 岡倉天心 投票数:49票

 

 明治から大正時代にかけて、日本美術に大きな影響を与えた岡倉天心が第6位。岡倉は明治10年(1877)に東京開成学校(東京大学)に入学し、卒業後は文部省へ入省。学生時代に出会ったアメリカの美術史家フェノロサとともに古美術の保護や美術家の育成に力を注ぎ、後世の美術家に大きな影響を与えた。経済、文化などあらゆる面で西洋化が叫ばれた時代にありながら、岡倉は日本古来の美術や思想、価値観の伝承を進めた。その功績は多岐にわたるが、岡倉を語る際に多く用いられる「美術思想家」という肩書が、その立ち位置をよく表しているといえる。

 

第7位 林羅山 投票数:44票

 

 儒学者として、江戸時代の初期に活躍した林羅山。建仁寺で儒学と仏教を学んだ林は、儒学者の藤原惺窩(ふじわらせいか)の推薦により侍講として幕府に召し抱えられ、家康から家綱まで4代にわたって儒学を講じた。また、将軍の側で儀式の調査、法度の制定や古書の採集などさまざまな業務を担い、初期の徳川幕府に欠かせない人物として大きな足跡を残した。後に神田に移転され、昌平坂学問所として幕府直轄となった「孔子廟」(こうしびょう)を建てたことでも知られる。

 

第8位 荻生徂徠 投票数:39票

 

 7位の林羅山よりも後の時代に、同じく儒学者として活躍した荻生徂徠が第8位。その優れた学力が認められ、5代将軍綱吉の伝記『憲廟実録』の編纂などに従事した。綱吉の没後は学者として独自の政治論を説き、8代将軍吉宗もその登用を試みたが、徂徠の病死により実現はしなかった。学問には真摯に取り組む一方で、その教育論では多様な個性の尊重を重んじたという。後進の育成にも力を注ぎ、太宰春台(だざいしゅんだい)ら多くの優れた学者を門下から輩出している。

 

第9位 内村鑑三 投票数:32票

 

 第9位は内村鑑三。内村は明治から大正期にかけて、キリスト教の思想家として大きな足跡を残した。23歳の時に渡米し、ハートフォード神学校で学ぶなどしたのちに帰国。帰国後は足尾銅山の鉱毒反対運動や、日露開戦に際して非戦論を主張するなど社会運動に身を投じ、自らの行動でよりよい社会を目指した。日本のキリスト教界に大きな影響を与えながら、『基督信徒の慰』(きりすとしんとのなぐさめ)などの著作も多く遺している。

 

第10位 石田梅岩 投票数:23票

 

 江戸時代に活躍した石田梅岩は、はじめて講席を開いたのが45歳の頃という遅咲きの思想家だった。当時の通念では、商人の営利追及が社会的に賤しいものとみなされ、数ある仕事の中でも劣る職業とされていたが、その存在意義を積極的に肯定した。士農工商に、本質的に貴賤はなく平等であるという思想を説き、町人から高い支持を得た。

 

 

●集計方法:歴史人公式LINEで、2021年6月29日から、2021年7月9日までに選択式のアンケートを実施。期間内に集計された、約1000票を集計してランキング。

 

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。