【ランキング】もっとも名言を検索された幕末の偉人は?〈第6~10位〉
歴史人の公式LINEでは、日本史上の偉人名を入力すると名言が出てくる「偉人名言機能」を展開している(現状の登録偉人数は約300名)。この検索結果から、今回は1年間でもっとも検索された幕末の偉人をランキング形式で発表。数多く検索された幕末の偉人のうち、第6位から10位を名言とともに紹介する。
現代にも通じる幕末の偉人たちの名言

谷中墓地(東京都台東区)にある、徳川慶喜の墓。隣には、正室だった一条美賀子の墓も立てられている。
第6位 徳川慶喜 検索回数:68回
「天下を取ることほど、気骨が折れることはない」
激動の幕末を代表する人物である、第15代将軍徳川慶喜が第6位。父・斉昭に厳しく躾けられて育った慶喜は、聡明でありながら、どこかクールな一面を持っていたといわれている。将軍の座を長い間固辞し続けていたエピソードも有名だ。ちなみに上の言葉の後には、「気骨が折れるから嫌だと言っているのではなく、天下を取った後にその座を失うぐらいなら、はじめから天下を取らない方がよい」という言葉を続けている。開国と攘夷に揺れた日本で、幼少期から将来の将軍として期待された慶喜は、その肩に乗るであろう過剰な負担を、すでに認識していたのかもしれない。
第7位 高杉晋作 検索回数:67回
「面白きこともなき世を面白く、住みなすものは心なりけり」
この言葉も非常に有名だ。「面白いことのない世の中を面白く生きるのは、自分の心次第だ」という積極性あふれる意味合いで広く知られている。松下村塾に入塾後、奇兵隊を創設して攘夷運動に身を捧げ、29年の生涯を駆け抜けた高杉晋作ならではのバイタリティがあふれている。この言葉は、肺結核で亡くなる前に詠まれた辞世の句とする説と、死の数年前に詠まれた句とする説がある。もし前者であったとするならば、死の直前まで強いメンタルを保ち続けていたことがうかがえる。
第8位 大久保利通 検索回数:60回
「おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が」
盟友・西郷隆盛の死を聞いて大久保利通がもらしたというこの言葉は、名言というよりもその悲痛な心中を絞り出したものなのかもしれない。何度も流罪に遭いながら、倒幕の立役者として最前線に立ち、維新を成し遂げた同郷の友人である西郷の死を受け入れるために、まだ見ぬ日本を想ったのだろうか。大久保は、西南戦争終了後に漢学者である重野安繹に西郷の伝記の執筆を依頼している。
第9位 勝海舟 検索回数:59回
「事を遂げるものは愚直でなければならぬ。才走っては上手くいかない」
愚直さの大切を説いたのは勝海舟。江戸城無血開城の立役者として知られ、幕府側の交渉役を担ってきた勝は、その生涯の間に多くの偉人と接してきた。西郷ら倒幕側の人物と、幕府側の人物と両方の人材に接してきたゆえの、説得力のある言葉だ。ちなみに勝は、維新後に明治政府へ徳川慶喜の赦免を嘆願し続け、遂に明治2年(1869)に慶喜の謹慎は解除された。
第10位 渋沢栄一 検索回数:53回
「数字算出の確固たる見通しと、裏づけのない事業は必ず失敗する」
現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』では、栄一がパリの地で債券の仕組みを銀行家のフリュリ・エラールから学んでいる様子が描かれている。「近代日本経済の父」とも称される栄一は優れた会計能力を有していた。創立間もない明治政府の、無計画な予算案を諫めたエピソードも残っていることから、会計の重要性をこの上なく感じていた人物だったことがうかがえる。なお、ニュアンスの近い栄一の言葉として「入るを計りて、出(いず)るを節す」というフレーズも残っている。
激動を生き抜いた幕末の偉人らしい、未来を見据えた名言が今回は多く見られた。次回は、注目の第1位から5位を発表していく。
●集計方法:歴史人公式LINEの偉人名言機能で、2020年2月6日から、2021年2月5日までに検索された偉人名を集計してランキング。
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