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【ランキング】もっとも名言を検索された戦国時代の武将は?〈第1~5位〉


 日本史上の偉人約300名の人名を入力すると、その人物が遺した名言が出てくる「偉人名言機能」を歴史人の公式LINEでは展開している。この検索結果から、今回はこの1年間でもっとも検索された戦国武将をランキング形式で発表。先日発表した第6位から10位に続いて、第1位から5位を名言とともに紹介する。


 

死生観や組織マネジメント術が反映された武将の名言

 

愛知県清須市の清州城にある「信長公出陣の像」。永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦いで、27歳の信長が清州城から桶狭間へ出陣する際の姿がモチーフとなっている。

 

第1位 織田信長 検索回数:390回

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」

 

 注目の第1位は織田信長。その名言は、人の一生の短さ、儚さを詠ったもの。本来は、信長が好んで踊った幸若舞の演目のひとつ「敦盛」で語られる詞の一部で、人間が生きる50年を、天上界で住人が500歳まで生きるとされる「下天」と比べ、その儚さを説いている。信長の家臣であった太田牛一が記した『信長公記』では、桶狭間の戦い前夜に信長がこの一節を出陣前に舞ったという記述が残っている。本能寺の変でその人生を唐突に終えた信長は、死に対する認識や覚悟を、常日頃から人よりも深く持っていたのかもしれない。

  

第2位 明智光秀 検索回数:322回

「ときは今 あめが下しる 五月かな」

 

 第1位の信長の忠臣であり、後に謀反を起こした明智光秀が第2位。この句は、本能寺の変の直前である天正10年(1582)に、明智光秀が京都愛宕(あたご)山の威徳院で興行した連歌の際に詠まれたもので、「あめが下」に「雨が下」と「天が下」両方の意を込め、信長への謀反の意を表したものとされている。当時光秀は毛利氏の征伐を命じられていたことから、「信長様が毛利を征し、天下を治めることとなった5月」という戦勝への願いを詠んだものとも考えられているが、その本意はいまなお分からない。

 

第3位 徳川家康 検索回数:318回

「およそ主君を諫める者の志、戦いで先駆けをするより大いに勝る」

 

 人間関係に着目した名言とともにランクインしたのは、徳川家康。家康は戦功に走る者よりも、主君に対して意見ができる者の志を高く評価している。この名言の裏には、当時の合戦に際する価値観がそのまま表れている。合戦で、敵に向かって一番に攻め入った場合には、討ち取られたとしても後世に名が残り、死後の誉れとなった。それに対して、主君に進言をした場合には、多くのケースで刑罰に遭い、その害は一家にまで及ぶことも少なくなかった。それゆえ家臣のほとんどは、進言を全く行わないが、その中であえて主君の前に出て意見する者を賞するべきだと家康は語っている。

 

第4位 豊臣秀吉 検索回数:307回

「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない」

 

 第4位は豊臣秀吉。秀吉は、人から聞いたものではなく、自ら思いついたアイデアの大切さをその名言で説いている。秀吉は実際に、佐久間信盛や柴田勝家が失敗したにもかかわらず、一夜で完成させたと伝わる墨俣城の築城や、大胆な進軍で明智光秀を打ち取った中国大返しなど予想外の手段でさまざまな業績を残してきた。そんな秀吉ならではのフレーズといえる。

 

第5位 武田信玄 検索回数:291回

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 讐は敵なり」

 

 第5位は武田信玄。信玄は人材の大切さを説いた上記の言葉を残している。戦国時代に、甲斐武田軍は最強の軍として周囲の国々から恐れられた。そんな武田軍の長であった信玄は、「人は城 人は石垣 人は堀」という言葉で、人と人が協力することで成り立つ組織としての強さや、それぞれの人材の長所を見極めて配置することの大切さを説いている。また、「情けは味方 讐(仇)は敵なり」の部分では、人に接する上で情を持つことの大切さや、恨みを持たれることの影響について述べている。現代の組織マネジメントにも通じる、普遍性を備えた言葉といえるだろう。

 

 やはり第1位~5位は、戦国武将の中でも人気の偉人が出揃った。名言はその人物を知るツールのひとつであり、今日の我々が人物像を考察する上でも非常に興味深い。今回の戦国武将とは別のカテゴリーで、今後も名言検索ランキングを発表していくので、ぜひそちらも読んでみてほしい。

 

●集計方法:歴史人公式LINEの偉人名言機能で、202026日から、202125日までに検索された偉人名を集計してランキング。

 

〈偉人名言機能・年号機能が楽しめる歴史人公式LINE〉

歴史人の公式LINEでは、戦国武将や幕末の志士など日本史上の偉人約300名の人名を入力すると、その人物の名言が出てくる名言機能を楽しむことができる。

 

また、室町時代の1400年から明治時代の1899年の間で、好きな年号(西暦)を入力すると、その年の主な出来事が表示される年号機能も充実している。登録はこちらのリンクより。htpslin.ee/lUUpFQb

 

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