戦国武将の「組織を動かす」名言5選
歴史人の公式LINEでは、日本史上の偉人名を入力すると名言が出てくる「偉人名言機能」を展開している(現状の登録偉人数は約300名)。この名言のなかから、組織マネジメントに役立つ戦国武将の名言を厳選して紹介。平時は他国と交渉を重ねながら領地を治め、戦時は武士たちを鼓舞して合戦に臨んだ武将たちならではの、組織を動かす名言を紹介する。
リーダーと部下、双方の在り方を説いた数々の名言

関ヶ原の戦いで西軍に与し、最終的に自害したとされる大谷吉継の墓(岐阜県不破郡関ケ原町)。一説によれば切腹した吉継の首を家臣の三浦喜太夫が運び、米原の地に埋めたともされる。
大谷吉継「大将の要害は徳にあり。徳あるところ、天下これに帰す」
組織を率いる大将の人徳について説いたのは、関ケ原の戦いで西軍に与した大谷吉継。東軍の将・家康と交流を持ち、石田三成との関係も重んじた吉継が理想とした組織のトップとは、何よりも慕われる徳のある人物だった。吉継が家康を徳のある人物とみなしていたかは分からないが、会津の上杉征討の際には実際に石田家と徳川家の接近を試みている。多くの武将が東西いずれに与するか迷ったなかでも、吉継は悩みぬいて石田方に付いたのかもしれない。
池田輝政「いまの世の中は静かではあるが、いつどのようなことが起こらぬとも限らない。そのときのために、いま以上に欲しいものは有能な武士である。無益の出費を省いて人を多く抱えることが世の楽しみなのだ」
信長、秀吉、家康という三人の天下人の時代を生き抜いた池田輝政の名言には、平時に有能な人物を登用する重要性が込められている。大きな合戦や天災、干ばつなどの有事が起こってからでは遅い。平時にこそ有用な人物を探しておくべきだと説いている。ちなみに、この言葉は居間の古びた水筒の買い替えを進言した部下に対して、輝政が発したものと伝えられており、倹約家としても知られる彼らしいエピソードといえる。
朝倉敏景「家柄ではなく、才覚と忠誠心がある者に仕事をさせよ」
「朝倉家に於ては宿老(しゅくろう)を定むべからず。その身の器用忠節によりて申し付くべき事」(原文)という言葉で、家臣の才覚と忠誠心を重んじたのは朝倉敏景。応仁の乱で武功を立て、越前の平定を進めたことで知られる敏景は、組織マネジメントや金銭の使い方に至るまで、様々な言葉を残している。
立花道雪「武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、その人が悪いのではなく、大将が励まさない罪による。わが配下の武士はいうにおよばず、下部に至っても武功のない者はいない。他の家にあって後れをとる武士があらば、わが方に来て仕えるがよい。見違えるような優れ者にしてやろう」
配下の活躍の責任を、大将=トップの責任と断言しているのは戦国時代に豊後国の大名として名を馳せた立花道雪。道雪は、主君として仕えた大友宗麟に対して諫言を辞さず、自らも合戦の際には最前線で戦うなどの勇敢なエピソードで知られる。一方で、龍造寺氏との戦いの際には軍師としても活躍していたことから、組織マネジメントにおいては一日の長があったと考えられる。
立花宗茂「戦いは兵が多いか少ないかで決まるのでなく、一つにまとまっているかどうかである。人数が多いからといって勝利できるものではない」
上記の立花道雪の婿養子となり、武功を挙げた立花宗茂。宗茂は道雪亡き後も秀吉の九州平定などで活躍し、非常に高い評価を得ている。実際に、自軍の何倍もの兵数を相手にして打ち勝ってきた宗茂が重要視する組織のポイントは、「一つにまとまっているかどうか」であった。これは合戦のみならず、仕事、スポーツなどさまざまな場面でもいえることかもしれない。
合戦という非日常を生き抜いてきた戦国武将たちならではの、深みのある言葉が多く見られた。どの言葉も、トップと部下のあるべき姿を説いており非常に興味深い。現代の会社などの組織マネージメントにも通ずる、含蓄のある言葉といえるかもしれない。
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