【ランキング】もっとも名言を検索された幕末の偉人は?〈第1~5位〉
歴史人の公式LINEでは、日本史上の偉人名を入力すると名言が出てくる「偉人名言機能」を展開している(現状の登録偉人数は約300名)。この検索結果から、今回は1年間でもっとも検索された幕末の偉人をランキング形式で発表。数多く検索された幕末の偉人のうち、第1位から5位を名言とともに紹介する。
大業を成し遂げる者に必要なメンタルを説く

坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された「近江屋」の跡地。京都市内の繁華街のひとつである河原町に、石票が立てられている。
第1位 坂本龍馬 検索回数:210回
「世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」
幕末のみならず、日本史を通して不動の人気を誇る坂本龍馬が第1位。この一文が実際にいつ頃記されたものか分かっていないが、龍馬が書いた手紙の中に存在する。「人は私のことを、何とでも言えばいい。私がやりたいことは私だけが分かっているのだ」という言葉が、達観した姿を想起させる。このような信念を胸に秘めながら、龍馬は明治維新の実現へ向けて33年の人生を駆け抜けた。
第2位 西郷隆盛 検索回数:159回
「命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は処理に困るものである。このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない」
第1位の坂本龍馬と同様に、私欲を排することの重要性を説いた言葉を残したのは西郷隆盛。西郷はかつて、薩摩藩のトップである島津久光の命に従わず、沖永良部島に流罪に遭っている。藩のトップとして、久光を先代の斉彬公ほど尊敬することができないという理由と、攘夷勢力が予想以上に差し迫っていたことから、西郷は久光の方針に従わず独自の行動を取った。そんな自らの在り方と一致するような言葉だと言える。
第3位 近藤勇 検索回数:80回
「義を取り、生を捨てるは、私の望むところである」
この言葉は近藤勇の辞世の句の一部。この言葉の前には、原文で「他に靡〈なび〉き今日復た何をか言はん 」(敵方になびいて、今さら何を言うことがあろうか)という一文が付く。新撰組局長として、幕府を支える人間として戦い抜いた近藤の「義」を重んずる人間像が伝わってくる。
第4位 桂小五郎 検索回数:73回
「大道行くべし、又何ぞ防げん」
「人が歩むべき大道を行くべきだ。そうすれば、誰もそれを妨げることはできない」という言葉を残したのは桂井小五郎(木戸孝允)。幕末の天敵であった薩摩藩との交渉をまとめ上げ、維新後も明治政府の要人として活躍した桂は、その政治的手腕を高く評価されることが多い。一方で、こうした人の在り方に触れた言葉も残っており、バランスの取れた人物であったことが分かる。
第5位 沖田総司 検索回数:70回
「動かねば 闇にへだつや 花と水」
この句は沖田総司が病床で詠んだ辞世の句とされているが、詳しいことは分かっていない。一説によれば、同じ新撰組で戦ってきた土方歳三が詠んだ句への返歌とも言われている。ずっと苦楽を共にしてきた土方との別れを、病に苦しむ身で思ったのであろうか。土方は『さし向かう心は清き水鏡』という句を詠んでいる。
激動の幕末に生きた偉人たちは、自らの在り方を問うような言葉を多く残していた。維新を成し遂げた新政府側の偉人と、江戸幕府を守った旧幕府側の偉人がともに、私欲を排することの重要性や、他人の意見に惑わされないことの大切さを説いていることは興味深い。
●集計方法:歴史人公式LINEの偉人名言機能で、2020年2月6日から、2021年2月5日までに検索された偉人名を集計してランキング。
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